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フィリピンのネグロス島。そこに、人口三万足らずの古い港町 E市がある。私は、昨年開かれたアジア環境学会に出席した際に、 そこでたまたま住友君という一人の若いボランティアを紹介された。 二十四歳の誕生日を迎えたばかりだと言っていたから、 住友君は、私の息子よりも四つほど若いことになる。. 菲律賓的內格羅斯島 。 在 那裡,有個人口不足三萬人的老漁港 E 市。 我前年出席一場亞洲環境學會的時候 , 在 那裡剛好有人介紹了一位名叫住 友的 年輕志工給我 。 住友先生說他剛過完 24 歲生日,所以比我的兒子小 4 歲左右。.
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フィリピンのネグロス島。そこに、人口三万足らずの古い港町フィリピンのネグロス島。そこに、人口三万足らずの古い港町 E市がある。私は、昨年開かれたアジア環境学会に出席した際に、 そこでたまたま住友君という一人の若いボランティアを紹介された。 二十四歳の誕生日を迎えたばかりだと言っていたから、 住友君は、私の息子よりも四つほど若いことになる。 菲律賓的內格羅斯島。 在那裡,有個人口不足三萬人的老漁港E市。 我前年出席一場亞洲環境學會的時候, 在那裡剛好有人介紹了一位名叫住友的年輕志工給我。 住友先生說他剛過完24歲生日,所以比我的兒子小4歲左右。
突然の出会いで、しかも、父親ほど年の違う人を相手に、初めは突然の出会いで、しかも、父親ほど年の違う人を相手に、初めは 少し緊張気味だったが、それでも時間とともに、やがて緊張も解け、 E市で生活をするようになったいきさつを少しずつ話してくれた。 突然的相遇,而且對方(我)的年紀是可以當爸爸的人, (住友)剛開始雖然有點緊張,但是隨著時間流逝,不久緊張也消除了, 慢慢的跟我聊起在E市生活的經過。
住友君のお母さんは、彼が物心つくかつかないかのうつから塾へ住友君のお母さんは、彼が物心つくかつかないかのうつから塾へ 通わせ始めた。「学歴社会で生きていくからにはと、かわいそうだと 思いながらも、いやおうなくそうさせたんでしょう」と、住友君は、 母親の気持ちはよく理解できたと言う。 「心を鬼にして塾へ送り出してくれた」母親を喜ばせてやろうと、 一生懸命勉強し、県下でも有数の公立の進学高校に入学。 住友的母親在他剛懂事的時候就開始讓他去上補習班。「既然要在 這學歷社會上生存下去,雖然覺得很可憐,但這也是沒辦法的事」。 住友先生說他很能夠理解母親的心情。為了要讓「狠下心來把小孩 送去補習班」的母親的開心,拼命的用功讀書考上縣內少數的 公立升學高中。
高校では、志望すつ国立大学を狙って、さらに勉強を続けた。高校では、志望すつ国立大学を狙って、さらに勉強を続けた。 放課後、クラブ活動に熱中したり、バンドを組んで楽しそうにやって いる仲間を見て、うらやましいと思ったこともあるけれど、何としても 受験戦争を勝ち抜かなければと、頑張った。 在高中時,志願是上國立大學,因此更加努力讀書。 放學後,看著熱衷於社團活動,組樂團過得很開心的朋友們, 雖然有時候覺得很羨慕,但是因為無論如何都想贏得考試戰爭, 所以努力著。
しかし、志望校には合格できなかった。高校時代、努力の割には、しかし、志望校には合格できなかった。高校時代、努力の割には、 成績が中の上から上には行かなかった住友君、 「だめなら、もう一年やるまでだ」と、 浪人して予備校に通う覚悟が自分の中ではできていた。だから、 「あまりショックは受けませんでした。特に悲壮感もなかったですね」 と、振り返る。 但是卻沒考上志願學校。高中時代,儘管很努力,成績卻總是在 中上而上不去的住友先生,說:「如果不行,大不了就再努力一年」 ,有了當重考生進入補習班的心理準備。他回想當時, 「沒有太驚訝,也沒有特別的悲壯感。」
息子の番号を見逃してはいないだろうかと合格番号が張られた息子の番号を見逃してはいないだろうかと合格番号が張られた 掲示板をいつまでも食い入れるように見ている母親を、逆に励まし たのだそうだ。 はた目も構わず友人や両親と抱き合い、うれし涙で顔をクシャクシャ にした人や、喜色満面の人。 害怕是否漏看了兒子號碼而一直凝視著榜單的媽媽,聽說反而被鼓勵了。 有不介意旁人眼光和朋友或父母相擁,因喜極而泣而哭花臉的人, 也有滿臉喜悅的人。
その一方で、ショックを隠し切れず、がっくりと肩を落とし、しばしぼう然その一方で、ショックを隠し切れず、がっくりと肩を落とし、しばしぼう然 と立ち尽くすいくつかの姿。人生の明暗を映すそんな周りの様子も、 その時の住友君の目にはテレビが報道する春の風物詩の一場面 くらいにしか映らなかったと言う。 另一方面,也有幾個藏不住受到打擊的樣子,垂頭喪氣的, 一直茫然呆站著的身影。反映出人生的光明與黑暗的周遭的樣子, 在當時住友君的眼裡,看起來只不過是電視上報導的春日風景詩 的畫面罷了。
予備校通い始めた住友君は、両親に経済的プレッシャーをかけない予備校通い始めた住友君は、両親に経済的プレッシャーをかけない ように、授業と授業の合間を縫ってアルバイト。あまりの苦しさに耐え かねて、ともすれば「両立は無理か。大学はあきらめて働こうか」と 進学への意欲を失いそうになったと言う。それでも、そんな過酷な生活 に耐え、次の年には見事に関門を突破し、一流大学のシステム工学部 に受かった。 開始上補習班的住友先生為了不要給父母帶來經濟上的壓力, 課有空堂時就去打工。但因為太過辛苦受不了,動不動就說 「無法兩邊兼顧!乾脆放棄上大學去工作算了」,聽說差點喪失升學意 願。 即使如此,還是忍受著那樣辛苦的日子,隔年順利的突 破難關,考上一流大學的系統工學院。