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20 分で分かる「毒グモ 騒動」の真実

20 分で分かる「毒グモ 騒動」の真実. 東京蜘蛛談話会  2012 年 12 月 池田博明. 「セアカゴケグモ」事件  1995 年 11 月. 清水裕行著 『 毒グモ騒動の真実 』 発行 2012 年 7 月 24 日 清水氏は高校生物部でクモをテーマとし 1965 年に東亜蜘蛛学会に入会、八木沼健夫氏に師事。神戸大学理学部生物学科卒。「ゴケグモ騒動の際には渦中におらず記録を重視する姿勢がついた」. 「セアカゴケグモ事件」とは何か. 「毒グモ騒動」という呼称は清水氏の本が初めて。 それ以前の呼称は 「セアカゴケグモ事件」(小野展嗣 『 クモ学 』2002 ),または

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20 分で分かる「毒グモ 騒動」の真実

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  1. 20分で分かる「毒グモ騒動」の真実 東京蜘蛛談話会 2012年12月 池田博明

  2. 「セアカゴケグモ」事件 1995年11月 • 清水裕行著『毒グモ騒動の真実』発行2012年7月24日 • 清水氏は高校生物部でクモをテーマとし1965年に東亜蜘蛛学会に入会、八木沼健夫氏に師事。神戸大学理学部生物学科卒。「ゴケグモ騒動の際には渦中におらず記録を重視する姿勢がついた」

  3. 「セアカゴケグモ事件」とは何か • 「毒グモ騒動」という呼称は清水氏の本が初めて。 • それ以前の呼称は「セアカゴケグモ事件」(小野展嗣『クモ学』2002),または • 「セアカゴケグモ騒動」(川合述史『一寸の虫にも十分の毒』1997) • 以下,紫字は清水本には記述がない事項である

  4. 1995年、セアカゴケグモ日本で発見 • 1995年11月24日 共同通信を通じて新聞各紙で「熱帯の猛毒グモ 大阪に」セアカゴケグモ<かまれると死ぬ恐れ>の報道が出た。記者発表は大阪市立自然史博物館(金沢至)による。最初の発見は大阪府高石市で9月11日、竹田吉郎による(職場の工場内の自転車から)。 • 自然史博物館に持ち込まれたクモを金沢至が受け取り液浸し、西川喜朗に同定を依頼。ゴケグモの一種と同定された。10月9日に竹田は2頭め(メス成体)を採集。10月20日に西川がセアカゴケグモと同定。 • 11月19日、博物館友の会有志による調査。工場敷地から50匹、卵嚢20個、墓地周辺で20匹を採集。

  5. 発表の準備 • 博物館友の会の会誌NatureStudy12月号に発表原稿を11月20日に西川が送付。 • 大阪府環境衛生課・泉大津保健所に連絡(11月21日) • 西川は大阪府に抗毒血清の手配を依頼(11月22日) • 大阪府は厚生省へ連絡、11月23日に加納六郎(もと東京医科歯科大学学長)が電話で小野展嗣(国立科学博物館)に連絡。翌日24日にクモ同定を依頼する。セアカゴケグモと同定。「テレビ朝日のクルーが取材、特急便で午前11時のニュースに流れた。これがテレビ第一報」(小野2002より。★清水本には出ていない)。加納の「猛毒です!」の断定だけが流れた(小野2002より)

  6. 今日、クモで死ぬ人は稀である • 小野が取材で話した内容は午前11時のニュースでは全部カットされた。夜のニュースでレポーターが話した。 • 「死亡率うんぬんより、今日クモで死ぬ人は稀である、クモのほうからヒトを攻撃することはない」(小野) • 「クローズアップ現代」での取材で小野はオーストラリアの標本と比較した結果を話した。しかし放映直前にオーストラリアに関する事柄がすべて削除された。オーストラリア政府観光局等から主要なマスコミに圧力がかかったのだった(ニューズウィークの記者情報。小野2002より。★この事実が清水本には出ていない)

  7. アマチュア研究家の役割が大きい • 「クモ全般の情報を提供するために、プロ、アマを問わずクモの研究者がみな狩り出されることとなった。多くの蜘蛛学会の会員がマスコミや地元の住民、そして行政の質問に答えたり、手弁当で調査に参加した。とくにアマチュア研究家がはたした役割には大きいものがあった」(小野2002より。★清水本には引用されていない) • 清水本に引用されたのは,小野の「日本蜘蛛学会はクモの研究者によって組織された学術団体で、実体は人の集まりでしかない」という言辞のみ。小野は「クモ研究者間の意見の違いも表面化して人間関係がぎくしゃくしたこともある」と書いている。

  8. 三重県四日市市でも発見 • 1995年11月27日、四日市市の保健所から西川に同定の依頼。夜にセアカゴケグモと同定。各地でゴケグモ探しが始まったが、関西空港や大阪府各市各町で続々と発見例が相次ぐものの、他県での発見は無かった。 • 11月28日、四日市港で約200個体を確認(★調査者が未記入である)。 • 四日市のセアカゴケグモについて太田定浩・貝發憲治氏らが行政へアドバイスしたり、調査協力したりと活動しているが、★清水本には一切書かれていない。その後の三重クモ談話会の調査結果もまったく参照されていない。

  9. ハイイロゴケグモの発見 • 横浜本牧公園ではハイイロゴケグモが発見された(11月27日横浜検疫所職員による。★清水は「検閲所」と書いているが間違い) • 12月8日(金)おおり医院(大利昌久院長)へ持ち込まれたクモを池田が同定。急きょ、小野へ連絡(Ono1995より)(★清水本に記入が無い)。小野は12月9日(土)現場で調査し,確認。

  10. 12月16日(土)談話会横浜調査 • 12月2日(土)池田はセアカゴケグモについてTBSサンデーモーニング取材チームに答える(結果は翌日放送された。趣旨はオーストラリア同様にクモをよく知り、大騒ぎせずに共存の道を探ったらどうかというもの)。 • 12月3日(日)東京蜘蛛談話会・多足類懇談会のニ会合同例会で過剰報道に対するマスコミへ異議の案(池田案)が賛否半ばし、日本蜘蛛学会へ科学的な情報をきちんと発信して欲しいと要望することになった。12月16日(土)に横浜港湾地区を有志で調査することに決定した。これら活動記録(池田,1997)「神奈川の毒グモ」はウェブ上にあり(★清水本にはこれらの記述なし)。

  11. ハイイロゴケグモを多数発見 • 12月16日(土)に,東京蜘蛛談話会有志18名により, 横浜地域ゴケグモ調査が行なわれた.三グループに分かれ, 市街地の公園やコンテナ置き場周辺を徹底的に調査した結果,ゴケグモ類は本牧埠頭公園に生息するハイイロゴケグモだけであることが判明した. • この日[12月16日]の採集個体は雌24頭,雄4頭,雌亜成体4頭,雄亜成体4頭,幼体16頭,卵嚢39個であった.[11月27日雌成体2頭,12月9日雌成体6頭・幼体1頭(小野展嗣採).12月14日に横浜市職員が63頭♀(幼体を含む),15日に8頭♀を採取していたので、11月27日からの頭数は雌100頭,雄4頭.(★清水本になし)

  12. 第2章 ゴケグモの生態と毒 • 清水本には西川・金沢(1996)の論文だけが参照・引用されている。 • 川合述史、大利昌久、中嶋輝躬らのクモ毒関係者の論文はまったく参照・引用されていない。そのためか間違っている。 • また、「ラトロトキシン未検出」という誤った判断がされたままである。

  13. ゴケグモの毒 • タンパク質ラトロトキシンが発見されていて,脊椎動物,昆虫,甲殻類を含む異なった動物群を標的にしている.脊椎動物には効果がなく昆虫に効果があるものはラトロインセクトトキシンと呼ばれており,αラトロクラスタトキシンというタンパク質は甲殻類にのみ活性がある.すべてのラトロトキシンは特異的な神経受容体に結合する神経伝達物質の大量放出を刺激します(『Toxicology』2007). • セアカゴケグモ毒にもハイイロゴケグモ毒にも分子量13万のタンパク質が観測されるので、αラトロトキシンは他の種類のゴケグモにも共通する要素と思われる。・・・ゴケグモ毒からはほかの低分子神経毒の報告はない(中嶋、2000「クモ毒と系統」『クモの生物学』)

  14. セアカゴケグモの生態 • 三重クモ談話会(1996-1998)の生態報告や大阪公衆衛生研究所、ニュージェックの生態報告書のセアカゴケグモの生態報告がまったく参照されていない • ハイイロゴケグモに関する加藤むつみや木村知之の生態報告がまったく参照されていない

  15. 三重クモ談話会会員の証言 • 卵嚢中の卵数は56~293個で平均164個(N=41)(三重クモ談話会・太田)。111個の卵嚢を調べて平均卵数を167.9個としている.レンジは48個-431個だった.卵嚢の長径(X)mmと卵数(Y)個の関係式はY=51.62X-264.07,相関係数は0.756であった(吉田1996より) • 太田定浩氏証言「西川会長はじめ加村さんなどメンバーにわざわざ来ていただき、ご指導をいただいて始めた野外調査の過程や結果をどうしてとり上げてもらえなかったかと、不思議と残念な思いがしました」 • 貝發憲治氏証言「太田氏と我々の素人の調査はあまり引用してもらえないのは致しかたないことかな。少々残念だが」と話した

  16. 「熱帯のクモはバルーニングをしない」? • 清水本58頁「熱帯に分布するクモはほとんどバルーニングをしないことが多く,(セアカは)日本でもバルーニングは正式には観察されていない.分布の拡大の様子を考えると、幸いなことにセアカゴケグモはバルーニングの習性を持たないようである」とあるが、根拠は? 正しくない。 • Hawkeswood(2003)は『オーストラリアのクモ』でセアカゴケグモの「バルーニング」を次のように記述している。 • 「若い幼体は分散にあたっては,「バルーニング」として知られているプロセスを経て網から巣立つ」。熱帯のクモ必ずしも固有種でないからバルーニングするはずだ。

  17. 子グモ同士は共食いをすることがある • Hawkeswood(2003)の「バルーニング」記述前の文章は以下、「新しい幼体は産卵後約14日で卵嚢から出嚢する。このハッチングは通常は,気温が下がり湿度が上がる雨の開始と関連している。幼体は通常は短い期間に分散するが,食べ物がないとか乾燥しているとか,暑さが続くなど環境条件が不都合な場合には,子供は母親のシェルターに居残っている。この状況では子グモ同士に共食いが起こり,しばらくするとオス一匹だけが残る。オスは成熟するとそのメス(なんと自分の母親!)とさえ交尾する。それでも環境条件さえよければ多くの卵が受精し,産卵される。」共食いするオスが残ることは日本での実験でも報じられている。

  18. ハイイロゴケグモの卵生産 • 日本産のハイイロゴケグモのデータでは,“12月16日に亜成体だった雄は飼育下で1月20日に最終脱皮し,その後10週間以上生存した”(加藤むつみ,1997) • “横浜市本牧公園。1個の卵嚢中の卵数は 69~262個だった”(木村,1996)と記録している.木村知之(1996)の調査した平均のクラッチ・サイズは147個(N=8)である.このクラッチ・サイズはセアカゴケグモよりやや低いが,決して劣らない数である. • 日本衛生動物学会大会(1997年10月17日)で稲田景嗣(神奈川県衛生研究所)は“ハイイロゴケグモの1産卵期における産卵数として,1996年9~11月に造られた卵のうは3~7個,その大きさは8.47±1.34mm(n=22),卵数は123.0士69.1(n=31),この期間の総産卵数は594.4±257.4(n=5)だった”と報告している.★清水本には記述がない。

  19. 第3章 1996年以降の分布拡大

  20. 資料1 咬傷被害例 • 1996年1月16日 愛知県知立市 男性 • 1997年7月11日 関空 • 2001年10月 泉南市 • 2004年 2件 • 2005年 1件 • 2006年 6件 • 2007年 6件 • 2008年 9件 • 2009年 14件 • 2010年10月まで 8件 • いずれも痛みとしびれ程度の軽傷であった

  21. 第4章 社会現象としての「毒グモ騒動」 • 清水本は「毒グモ騒動」の実態評価を次の3点とした; • 大阪のナチュラリストの指摘に応じて大阪府などの行政機関がゴケグモ注意情報を出し、駆除に乗り出した • 新聞・テレビなどのメディアがこれを報道 • 全国的に「毒グモ」が知れ渡った • 清水は行政の対応を批判「ひたすら殺虫剤を散布したのは一般に自然環境とか生態系といった認識が乏しかった為、害虫といえば薬剤散布しか思い浮かばなかった」。 • ★清水本の当時は生態系の認識が乏しかったというのは誤認だ。「生態系」が話題になったのは70年代である。

  22. 有吉佐和子『複合汚染』1974年~ • 作家・有吉佐和子は1974年の10月から8ケ月にわたって、朝日新聞の連載小説欄に『複合汚染』を書いた。市民の周辺を取り巻く環境汚染物質の影響を作家が専門家へ取材するという形でわかりやすく書いた小説。あまりの大きな反響に連載が終了する前に単行本が出たほどであった。

  23. 小説家の科学論を笑う御用学者 • 小説にしたのは変といった揶揄的なコメントや,科学的事実の誤認など『複合汚染への反証』という批判本もあった。公害や企業の告発の後には解決を先延ばしする目的で御用学者が反論する構図があり,『世界を騙し続ける科学者たち』(2011年)でも告発されている

  24. 有吉佐和子の反批判 • 有吉は専門家らとの対談を集めた『複合汚染その後』も出して「複合汚染」の実態を告発した。 • 現代は有吉のしごとは,片山杜秀(慶応大学・思想史)が『沈黙の春』のカーソンの仕事とともに再評価している。 • 1995年当時も高校教員は薬剤散布を批判していた

  25. 1990年に高校「生物Ⅰ」に生態系 • 高校の「生物Ⅰ」で「生態系」が学習されるようになったのが1990年。 • 「環境ホルモン」の害を告発したコルボーンの『奪われし未来』の翻訳出版は1997年で、BBC番組を単行本化したデボラ・キャドバリーの『メス化する自然』は1998年であった。

  26. セアカゴケグモに関する学術文献は多い • 清水氏は「セアカゴケグモに関する学術文献は少ない」と書いているが。これは誤り。多すぎて整理できないほど存在する。セアカゴケグモだけでなくゴケグモ類は類似の特徴をもつため、それも含めれば膨大な学術情報が入手可能。特にユーゴスラビアのマレティックらの「Araneism(クモ刺咬症)」は70年代までの情報をレビューしていて貴重な本である。 • 日周性に関する金沢・清水のアクトグラムの実験が清水本には紹介されているが,たった一日だけの記録で結果が出ていない。既に日周性については夜行性という報告がNatureに論文として発表されている。

  27. 毒性試験の結果 • ラトロトキシンは検出されなかったという1996年の最初の結果が清水本には書かれている。 • 1996年のうちに「ラトロトキシンはやはりあった」と報告されている事実が,それ以降の論文(1998年,1999年)も清水は参照・引用しているが内容が無視され、「検出されていない」という結果のまま、記述・考察されていることは奇妙。読んでいないのではないか。 • “「安全だったはずなのにいまさら騒ぐのか」という社会の認識を正すためには衛生研究所報告を検証する必要がある”と清水氏は主張するが、検証も何も既に毒ラトロトキシンはあると何度も報告されている。

  28. 日本蜘蛛学会ゴケグモ対策委員会 • 日本蜘蛛学会ゴケグモ対策委員会が出来た(1996年)。委員長は西川喜朗会長、庶務幹事・吉田真。会員に対するゴケグモの科学的情報を発信し、調査等に協力する。 • 2年後のアセス会社ニュージェックの生息調査報告書の刊行をもって解散。情報発信機能はほとんど果たさなかった(関係者各個人が各誌に発表した)。調査区域が大阪だったため、東京関係者は協力できなかった。 • 対策委員会とは別に夏の大会で1996年8月にシンポジウムを企画した。企画及び講師への連絡などには大利・池田・宮下が関係した。(★清水本には一切の記述なし)

  29. 第5章 付き合いかた • ①身近なクモとして定着した • ②特定外来生物として指定された • ③殺虫剤散布は効果が小さい • ④住民による駆除活動は効果がある • ⑤毒グモに対する正しい認識をもつ • ⑥正確な記録を残す • ⑦「共存」は共存共栄という言葉を連想させるため、誤解を与える用語である。 • これら①②③⑤⑥は当初から三重クモ談話会会員や東京蜘蛛談話会会員が言ってきたことと重なっている。

  30. 第6章 クモと日本人 • 奇妙な論になっている。筆者が知らないだけだと思われる断言も多い。この章は無いほうがよかった。 • 「クモを戦わせる遊戯は海外では例をみない」と書いているが間違い。ヒルヤード『クモ・ウォッチング』や近年の関根さんのクモ遊びレポートを読んでいないのだ。 • 日本人はクモ嫌いかクモ好きかは、既に歴史的に論じられているし,一方的に決めて何になるというのか疑問。 • 『古事記』の「つちぐも=土雲」表記は発音が独り歩きした結果だと推定しているが、『古事記』は漢文で記述されていて和語の漢字表記は最初から当て字である。

  31. いま現在は? 特別視されないゴケグモ • 証言「京都市左京区でセアカゴケグモを発見。初記録だったので役場へ届け出たが、南区の情報を集積している施設へは連絡しておきますが、特段、問題にするには及ばないという対応だった。清水氏が開設している<ゴケグモ情報センター>に情報が自動的に集まるシステムではないし、すべての生息情報を把握するのは困難。スズメバチに対応するのに精一杯なほど」(吉田真) • 証言「三重県では四日市市の対応は落ち着いたものになった。しかし、周辺地域では大騒ぎになる例もまだあるため、助言が必要」(貝發憲治) • 証言「横浜にハイイロ定着、大和市でも発見」(池田)

  32. 『「毒グモ騒動」の真実』書評 • 記述する前の資料の読み込みが浅いため、「真実」に迫るための欠落が多い。特に毒の理解や生態記録などは情報が乏しく、大阪府で提供しウェブ上で参照できる「セアカゴケグモの詳細」(wordまたはpdf)のほうがずっと詳しく有益である。 • 「毒グモ騒動」への対応では小野(2002)の評価が正しい。この本は東京蜘蛛談話会会員や三重クモ談話会会員の活動を、たぶん無知ゆえに無視している。日本蜘蛛学会ゴケグモ対策委員会資料が参照されていない。 • 「セアカゴケグモの分布拡大」の情報がもっとも重要で分布伝播の経緯が表になっていると良かった。

  33. ハイイロゴケグモの卵嚢の棘の役割 東京蜘蛛談話会  池田博明

  34. ハイイロゴケグモとツヤクロゴケグモ • Vetter, R.S., L.S. Vincent, A.A. Itnyre, D.E. Clarke, K.I. Reinker, D.W.R. Danielson. L.J. Robinson, J.N. Kabashima and M.K. Rust, 2012. Predators and parasitoids of egg sacs of the widow spiders, Latrodectus geometricus and Latrodectus hespers (Araneae: Theridiidae) in southern California. J. Arachnology, 40:209-214. • 南カリフォルニアにおける2種のゴケグモの卵嚢の捕食者と寄生者

  35. 卵嚢 3739個ハイイロ 263個ツヤクロ • 被捕食率=ハエの蛹があった 1.98%=74個 • 被寄生(蜂)率=蜂の蛹があった 0.4% • 死亡 25.76% • 生存 14.42% • 出嚢後 53.84% • その他 3.58% • 被捕食率=ハエの蛹があった 6.08%=16個 • 被寄生(蜂)率=蜂の蛹があった 0.0% • 死亡 17.33% • 生存 6.08% • 出嚢後 66.54% • その他 3.80%

  36. CHLOROPID FLY 卵嚢捕食率 • Pseudognauraxsignatusに捕食される率はハイイロゴケグモよりツヤクロで大きかった。サン・フランシスコ・ベイ・エリアではツヤクロ40%だったが、南部カリフォルニアでは過去の調査では4.8%、今回は6.1%だった。 • ハイイロの被害が低い原因にはいろいろな要因が考えられる。暑さのせいか、ハイイロの卵嚢はしばしば発生に不具合があることが報告されている。他に注目すべきは卵嚢のスパイク(突起)である。これがハエの産卵の邪魔になるようだ。

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