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イランのスポーツに ついて②. ~ レスリング 編 ~. レスリングとは?. 人類最古のスポーツ、 レスリング 野生の動物の生態からして、 敵 と闘うこと は動物の本能の ひと つであり、有史以前 の人間も 、当然 、外敵と闘う ことで自分 自身 と家族や一族を守って きた。 その闘争を競技化したレスリングは、人類最古のスポーツと考えられて いる。 1938 年 にメソポタミアで、互いに 相手の腰を押さえている2人の選手の石板と鋳 銅が発見された。 紀元前 3000 年以前のものと推定され、この頃からレスリングが競技として存在して いたらしい。
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イランのスポーツについて② ~レスリング編~
レスリングとは? • 人類最古のスポーツ、レスリング • 野生の動物の生態からして、敵 と闘うことは動物の本能のひと つであり、有史以前の人間も、当然、外敵と闘うことで自分 自身と家族や一族を守ってきた。 • その闘争を競技化したレスリングは、人類最古のスポーツと考えられている。1938年にメソポタミアで、互いに相手の腰を押さえている2人の選手の石板と鋳銅が発見された。紀元前3000年以前のものと推定され、この頃からレスリングが競技として存在していたらしい。 • 紀元前2500年頃のものと考えられるエジプトのナイル河畔のペニハッサンの墓壁には、レスリングの群像が無数に刻まれている(上の写真)。遅くとも、この頃にはしっかりとしたスポーツとして確立され、民族の力を誇示し高揚する手段としてスタートしたことが推察されている。
レスリングの歴史(1) • 古代オリンピックの花形スポーツ • 紀元前776年にアテネでスタートした古代 オリンピックでは、レスリング(紀元708年か ら採用)は主要競技のひとつだった。人々を 最も興奮させた五種競技のひとつでもあり、他の競技(短距 離走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ)をやって勝ち残った選 手が、神前に闘いの場を移してレスリングを実施した説が 有力である。 他の競技で負けていても、レスリングで勝てば勝者になれ るなど、最高レベルの地位を持っていた。 • 砂や土に水をまいて競技場をつくり、時間制限も体重区分 もないものだった。殴る・蹴るは反則で、相手を3度投げる か、両肩を地面につけることで勝敗が競われていた。
レスリングの歴史(2) • 1912年に国際レスリング連盟が発足 • 1912年には国際レスリング連盟(FILA)が設立され、両スタイルの階級を統一。ルールを整備し、組織だった競技として確立していった。当時の強国は、グレコローマン(後で説明)がオーストリア、ドイツ、デンマーク、フィンランドなど。フリースタイルは米国やフィンランド、スウェーデンだった。 • 旧ソ連、イラン、トルコなど現在の強国が世界の舞台に出てきたのは、第2次世界大戦の後のことである。それぞれの国や地域で最古のスポーツ、レスリングの伝統を受け継いだ格闘技が盛んに行われており、その基盤を国際ルールに昇華させ、レスリングの世界でも地位を築いたのである。 • 現在では、米国、ロシアほか旧ソ連諸国、イラン、トルコ、韓国、東欧諸国、キューバなのが世界のトップクラスを形成している。
レスリングのルール • マット上にある直径9mの 円形(サークルまたはリング) 内で、2人の競技者が、お互 いに素手で組み合い、相手 の両肩を1秒以上マットにつけることで勝敗を決する (フォール)。 • グレコローマンスタイルとフリースタイル • 時代によって細かな変更はあるが、「両肩を地面につける」「打撃、関節技や絞め技の禁止」という基本ルールは紀元前の頃から変わっていない。
ルール(グレコローマンスタイル) • グレコローマンスタイルにおいては、競技者は腰から下を攻防に用いることが出来ない。そのためスープレックスなどの投げ技中心の試合展開となることが比較的多い。このルールは古代ギリシアや古代ローマでのパンクラチオンのルールに由来する。「グレコローマン」は「ギリシアとローマの」と言う意味である。 • また、2分間のピリオドのうち最初の1分30秒はスタンドレスリング、残りの30秒はパーテールポジションでのレスリングと定められている。パーテールポジションでのレスリングはクリンチ状態から開始され、クリンチの優先権はポイントが優勢な選手に与えられる
ルール(フリースタイル) • フリースタイルにおいては、全身を攻防に用いることが出来る。そのため、レッグダイブ(タックル)を中心とした試合展開になることが比較的多い。 • ピリオドが0-0で終了する可能性もあり、そうなった場合は30秒間の延長戦となる。延長戦はクリンチポジションから開始となり、優先権は抽選で決定される。延長戦はどちらかにポイントが入ればその時点で終了となり、入らなかった場合は優先権のない選手に1点が与えられる。 • 女子のレスリング競技はフリースタイルのみ行われている(2004年アテネ大会より五輪種目)。
レスリングの用具 • 古代オリンピックでは裸体であることが義務であったが、現在の選手はシングレット(Singlet、俗称として「吊りパン」と呼ばれる)と呼ばれるワンピース型のユニフォームと、レスリングシューズを着用して試合を行う。止血用の白ハンカチ携行も義務付けられている。
イランの有名なレスリング選手 • ガセム・レザエイ(96kg級、グレコローマン) • オミド・ノルージ(60kg級、グレコローマン) • ハミッド・スーリヤン(55kg級、グレコローマン) • サーデ・サイード・ゴダルジ(74kg級、フリースタイル)
日本とレスリング • 1929年(昭和4年)、早稲田大学柔道部が米国のワシントン大へ遠征した際、レスリングと遭遇。日本人にとって未知の格闘技に接して魅力に取りつかれた八田一朗が中心となり、31年(昭和6年)、早大にレスリング部をつくったのが始まり。 • 戦後、1964年(昭和39年)の東京五輪では、フリースタイル3個、グレコローマン2個の金メダルを獲得。軽量級で世界最強のレスリング王国を築き上げた。八田一朗会長が実践したユニークな強化方法は、「八田イズム」として社会的にも有名となり、その精神は、今も日本レスリング界に伝わっている。 • 続く68年(昭和43年)メキシコ五輪でも金メダル4個を取って伝統を続け、88年(昭和63年)のソウル五輪まで、不参加だった80年モスクワ五輪を除いて金メダル獲得の伝統を続けた。しかし、日本レスリング発展の立役者だった八田一朗が亡くなった83年(昭和58年)を最後に世界チャンピオンが遠のいてしまうなど、1980年以降、徐々にですが下降線をたどってしまう。 • 92年のバルセロナ五輪で金メダル獲得の伝統が途切れてしまうが、同五輪では銅メダルを獲得。その後、96年アトランタ五輪でも銅メダル、00年シドニー五輪でも銀メダルを取り、メダル獲得の伝統は守り続けた。戦後の五輪で常にメダルを取ってきたのは、柔道(64年東京五輪から実施)とレスリングだけ。 • 04年アテネ五輪では、新種目となった女子で金メダル2個を取り、金メダル獲得の伝統を復活させ、男子でも銅メダル2個を取った。
日本の有名なレスリング選手 • 米満達弘(66kg級、フリースタイル)金 • 松本隆太郎(60kg級、グレコローマン)銅 • 湯元進一(55kg級、フリースタイル)銅 • 伊調馨(63kg級)金 • 吉田沙保里(55kg級)金 • 小原(坂本)日登美(48kg級)金
ロンドン五輪イランチームの活躍 • ロンドン五輪の男子グレコローマン最後の決勝(96kg級)は、金メダル2つで並ぶイランとロシアの闘いになった。3つめの金メダルを勝ち取ったのはイランのガセム・レザエイ。ロシアを破って頂上に立った瞬間、勝利の雄叫びをあげた。レザエイはいつまでも観客席の同胞にウィニングランをしてみせた。 • 「イランがロシアより多くメダルを獲った事はいままでなかったので誇りに思う。イランの人々を喜ばせることは、自分が金メダルを取ったことよりも意味がある」と話した。
イランと女子スポーツ(レスリングの場合) • 女子の試合開催を認めていないイランに、女子解禁の可能性が出てきた。 • 厳格なイスラム教国家であるイランは、公の場で女性が肌を露出することは禁止。スポーツも制限されており、日本から送られてくる新聞は検閲を受け、女子アスリートの写真の肌の部分は真っ黒に塗られていたという。 • サッカーとレスリングは、やることのみならず観戦も禁止されていた。1989年の男女同時開催の世界選手権(スイス・マルティニー)では、「女性と同じマットで試合はできない」として全選手が棄権した。開会式では、「女性に先導されて行進はできない」としてプラカード嬢を拒否し、男性に変えてもらうことなどが普通だった。 • 1999年の男女同時開催のアジア選手権(ウズベキスタン)では、女子と同じマットで練習・試合をやるなど軟化し、FILAの女性役員や女性記者は会場への立ち入りができるようになった。2009年の世界選手権(デンマーク)で吉田沙保里選手が2度の五輪を含めて世界9連覇した時は、ガッツポーズの写真(当然、肩、腕、脚などが露出)がそのまま掲載されるなど変化している(吉田選手の強さがずば抜けているため、例外だったという声もあるが・・・)。