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日本の満州経営と、 満州文化風俗に関する考察. 1 班. 概観. このグループでは、 ・満州の中の日本人の様子はどのようだったか ・満州の都会地域で花開いた文化にはどのようなものがあったか ・ソ連侵攻が生んだ悲劇と満州国崩壊 をそれぞれ紹介、考察していきます. 概観. 前提として考えてもらいたいのは ・列強の植民地支配とは少し趣を異にするということ ・満州都会部では独自の文化が発達したということ ・ソ連侵攻では悲惨な戦争犯罪が行われたこと. 概観. あまりスポットが当てられない満州の内状について考察しました ある面では「ユートピア」 ある面では「植民地」
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日本の満州経営と、満州文化風俗に関する考察日本の満州経営と、満州文化風俗に関する考察 1班
概観 このグループでは、 ・満州の中の日本人の様子はどのようだったか ・満州の都会地域で花開いた文化にはどのようなものがあったか ・ソ連侵攻が生んだ悲劇と満州国崩壊 をそれぞれ紹介、考察していきます
概観 前提として考えてもらいたいのは ・列強の植民地支配とは少し趣を異にするということ ・満州都会部では独自の文化が発達したということ ・ソ連侵攻では悲惨な戦争犯罪が行われたこと
概観 あまりスポットが当てられない満州の内状について考察しました ある面では「ユートピア」 ある面では「植民地」 ある面では「軍事上の要衝」 少し政治・軍事的要素は薄めな、「実際どうなの?」な満州を 紹介します。
満州地域で日本人がおかれた状況 <<日露後~終戦直前までの一貫した傾向>>
【一貫した傾向、とは?】 • 満鉄沿線と、租借地に籠もっていて、非常に閉鎖的だった • 中国人との文化的違いに苦しみ、中国人を下に見る意識が育った • 満鉄、関東軍、領事館の三頭政治という不安定な体制下に置かれていた
では、時代ごとにどんな日本人がやってきて、何をしていたのか、見ていこう!では、時代ごとにどんな日本人がやってきて、何をしていたのか、見ていこう!
日露戦争以前 三国干渉後、満州開発を進めるロシア →東支鉄道建設スタート ・工事を請け負った日本人労働者の流入 ・その日本人に目をつけた日本人売春婦、雑貨商 しかし日露戦争勃発によって帰国
日露戦争中 戦況の変化によって日本人の進出がOKされる(!) ・べらぼうに高いものを売りつける雑貨商 ・日本兵を癒やすための売春婦
日露戦争直後 ここから【一貫した傾向】が始まる 〔三頭政治の形成~1つめ~〕 外務省の出先機関として、領事館 安東総領事館(06.5) 奉天総領事館(06.6) ハルビン、吉林総領事館(07.2)
日露戦争直後 〔三頭政治の形成~2つめ~〕 役所として関東都督府 06.8発足 民政部と陸軍部が置かれる
日露戦争直後 〔三頭政治の形成~3つめ~〕 鉄道敷設・経済発展の担い手として南満州鉄道株式会社(満鉄) 06.11発足 初代総裁後藤新平
なぜ三頭政治と呼べるのか? バラバラに動くこの形態が、満州事変の失策を誘発したのでは? ・3つの組織が異なる地域を管轄していた ・権限をめぐる対立 例えば・・・ 満鉄付属地行政は満鉄が担当(あれ?行政っていったら関東都督府じゃ?) 満鉄付属地の警察権は関東都督府 中国人が犯罪を犯したら関東都督府が清の警察と交渉(あれ?領事裁判権とかは外務省の仕事では?それってつまり領事館だよね?)
この状況を見て・・・(11.6) • 当時逓信大臣の原敬 領事館のごときは外交を知って商売を知らず、南満鉄道は商売を知って外交を知らず、都督府に至っては商売も外交も知らない
そんな中・・・(19.4) 関東都督府は2つの組織に改編 ・関東庁 トップは文官。民政担当。 ・関東軍 満州に駐屯する陸軍。
☆在満州日本人は不安定な体制の下に服さなければならなかった☆在満州日本人は不安定な体制の下に服さなければならなかった
日露戦争直後 もう1つの【一貫した傾向】のあらわれ 満鉄の開発によって、日本人がある程度定住できるようになる この日本人というのは満鉄関係者が中心 満鉄付属地に住む 〔奉天旧城内の様子〕 「真に泥濘に脚を没す」 「町も人もくさくてたまらなく」、「露天のスイカにはハエが山のようにたかっている」(06年に奉天を訪れた東京高師の学生) →中国人への嫌悪感
WWⅠ前 もう2つの【一貫した傾向】のあらわれ 満鉄付属地内で開発は進んでいく 移民を推し進めたいがあまり増えない WWⅠまではせいぜい人口10万人程度 〔なぜか?〕 満鉄付属地では政府としては農業をやってほしいけど狭すぎて農業なんてできない 商人が集まっても共食いが起こった(★)
WWⅠ前 満鉄初代総裁・後藤新平の「満韓移民集中論」 多数の日本人を満州に送り込むことで 『満州ハ事実上帝国ノ領土トナリ、後年還付ノ場合二於テモ我ノ利益ハ確定不動』 これは欧米の宗主国-植民地の関係とは異なる ある種平和的
WWⅠ中 〔二十一箇条の要求を押し付けた日本〕 ・南満州の居住権を得た→農業出来るのでは!? ・土地の商租認められた
WWⅠ後 日本人はなお満鉄沿線と、租借地にへばりついていた 農業出来るとしても、わざわざ中国まで来て農業なんてしたくない 関東州(とくに大連)の発展は進む
WWⅠ後 「邦人は日本式の常識で満蒙を律せんとし、しかも目前の安逸を図らんとするから満蒙に伸びぬ。」 商人が集まっても共食いが起こった(★) →少ない日本人客を取り合う 日本人は中国人相手に商売をしようとしない 相手にしようとしても中国人商に負けてしまう 日本人相手に対応してきた中国人 日本人は見栄を張って少々高価でも中国人からモノを買ってしまう →中国人への嫌悪感 〔ドイツが商売のうまいユダヤ人にヘイトをためる構造と似ているのでは?〕
WWⅠ後 〔日本人の脅威になっていた匪賊〕 日本人、中国人金持ちへの強盗行為 中国警察は頼りにならない 中国軍は統制がとれておらず訓練されていない それどころかグルになって強盗をはたらく →中国人への嫌悪感 日本軍、日本警察に頼る、または自己防衛するしかなかった →へばりつきの要因でもある 関東軍の対応は“仕方ない”という考えになってしまう
3つの「中国人への嫌悪感」 • ある特定の地域に「へばりつきたい、へばりつかざるを得ない」理由 ☆中国人との文化的違いに苦しみ、中国人を下に見る意識が育った ☆満鉄沿線と、租借地に籠もっていて、非常に閉鎖的だった
以上が満州地域で見られた日本人の傾向 これは終戦まで存在し続ける =【一貫した傾向】
満州国の文化(1) ヤマトホテル、満映
満州国におけるヤマトホテル長春(新京)ヤマトホテル満州国におけるヤマトホテル長春(新京)ヤマトホテル ヤマトホテルがある都市 大連、旅順、奉天、長春、星が浦、ハルビン →満鉄直営 【長春ヤマトホテル基本情報】 客室25部屋、宴会場完備 満鉄と東清鉄道の接続点 =長春の社交場 アールヌーボー様式と伝統的な中国建築の折衷
満州国におけるヤマトホテル長春(新京)ヤマトホテル満州国におけるヤマトホテル長春(新京)ヤマトホテル 1908年 開業 1909年10月 ホテル竣工 1933年 五階建てに増築 【敗戦後】 ホテル営業停止、ソ連軍が接収 ↓ 国民党が進駐 ↓ 現在は吉林省政府のもの(春誼館旧館)
満州国の映画 【満映基本情報】 満州電映国策研究会の画策で設立 所在地 新京 資本金 500万元(円換算 78,300,000円ほど) 目的 民衆への宣伝手段 理事長 金璧東→甘粕正彦 人員 100人→1875人 映画館 200館 創作された映画 ・娯楽映画 ・啓発映画 ・時事映画
満州国の映画 映画の内容 ・8年間で約600本の映画 ・テーマはほとんど「日満親善」、「五族協和」、「王道楽土」 ・日本の侵略を美化、八路軍を侮蔑 【敗戦後】 甘粕の自殺→満映解体 現在は東北電影公司に
文化(1)まとめ ①満州国の民族を統合していくための手段であったこと ②基幹となっているのが「満鉄」の存在 ③敗戦後は施設などが有効活用されている
~満鉄と特急あじあ号~ 満州国の文化(2)
特急あじあ号 運行区間 大連~哈爾浜間 片道12時間半 最高時速130KM 平均時速80KM 機関車 パシナ(パシフィック七型機関車) 客車 一等~三等車 ボタン回転式座席 食堂車 展望車 冷暖房完備 二重窓で密閉
満州国の文化(3) ~満州文学の盛衰~
1931年 満州事変勃発→抗日文芸運動(哈爾浜中心)1931年 満州事変勃発→抗日文芸運動(哈爾浜中心) 日本による弾圧を受けて次第に鎮圧 1937年 盧溝橋事件~日中戦争 満州広報協会を設立 新聞の統合管理 <満州国の文芸活動の盛況期> (要因1)月間満州社(日本会社)中国語雑誌 『明明』 →純文学雑誌として発展 (要因2)日本人文化人による『満州文話会』結成 →在満日本人・中国人の文化人組織 日本文学の輸入や中国語訳も盛んとなる 石川啄木原作 李広天訳『悲哀的玩具』
1941年 「芸文指導要綱」→文化団体の統制1941年 「芸文指導要綱」→文化団体の統制 満州文話会が満州文芸連盟に統合される 大政翼賛の風潮 表現の自由衰退 日本人作家「郷土文学」 満州の地方社会を描写 プロレタリア色の強い文学
ソ連侵攻 • 19458/8 関東軍満州国東部へ避難 • 19458/9 ソ連侵攻 • 19458/15 日本無条件降伏 • 1946 春 満州からの集団引き上げ実施
事件 • 19458/14 葛根廟事件 興安南東部でソ連軍の戦車十数両に 女子供、お年寄り一千人が虐殺され る。
日本人のその後 • 集団自決 • 残留邦人
まとめ • 満州における日本人の実態 • その中で発達した文化 • そしてソ連崩壊 満州の “内地とは異なる” “単なる植民地ではない” 性格を述べてきました。 あまり歴史の表舞台に現れない満州について、理解していただければ
参考文献 喜多由浩(2017)『満州文化物語』集広舎 佐藤信、高埜利彦、鳥海靖(2008)『詳説 日本史研究』山川出版社 植民地文化学会 中国東北淪陥十四年史総編室共著(2008)『満州国とは何だったのか』小学館 塚瀬進(2004)『満州の日本人』吉川弘文館 西田勝、孫継武、鄭敏(2007)『中国農民が証す「満州開拓」の実相』小学館 劉文兵(2015)『満州映画史研究に新たな光をー「満州国」における日本映画の上映と受容の実態』