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友好フレームから普遍フレームへ : 日中 相互認識の変遷をめぐって. 園田 茂人 東京大学大学院情報学環& 東洋文化研究所新世代アジア研究部門・教授. 『 日中関係 1972 - 2012』 の企画. 1)日中関係の 40 年史を回顧するプロジェクト(笹川平和財団)の開始:でも、社会・文化から見るって? <討論> 諸君が編者 と なった際、どのような企画を立てるか?あるいはどのような事実を扱おうとするか? 2)「相互認識」という厄介な概念:何を用いれば、「相互認識」がわかるか? 3 )重要概念としての「文化イベント」:誰に何を依頼するか (→事前資料参照).
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友好フレームから普遍フレームへ:日中相互認識の変遷をめぐって友好フレームから普遍フレームへ:日中相互認識の変遷をめぐって 園田 茂人 東京大学大学院情報学環& 東洋文化研究所新世代アジア研究部門・教授
『日中関係1972-2012』の企画 1)日中関係の40年史を回顧するプロジェクト(笹川平和財団)の開始:でも、社会・文化から見るって? <討論> 諸君が編者となった際、どのような企画を立てるか?あるいはどのような事実を扱おうとするか? 2)「相互認識」という厄介な概念:何を用いれば、「相互認識」がわかるか? 3)重要概念としての「文化イベント」:誰に何を依頼するか (→事前資料参照)
日本の対中イメージの変化:1978-2010(単位:%)日本の対中イメージの変化:1978-2010(単位:%)
中国の対日イメージの変化:1988-2011(単位:%)中国の対日イメージの変化:1988-2011(単位:%)
世論調査分析:現状と課題 1)(国際)政治に傾斜した説明:人々の対中・対日意識は政治 によって(のみ)規定されるのか?なぜ政治を中心にした説 明がなされるのか? 2)対中・対日認識の変化の理由は相手国にある?:「フレー ム」概念の重要性 3)対中・日/相互認識をどう測定するか:重要となる「ワーディ ング」 4)時系列的変化と比較の視点:認識の背後にあるものを探る
中国に対するアジアの視線:2006-07年アジアバロメーター中国に対するアジアの視線:2006-07年アジアバロメーター
日本に対するアジアの視線:2006-07年アジアバロメーター日本に対するアジアの視線:2006-07年アジアバロメーター
日本における対外認識の概観:アジアバロメーター2003-08日本における対外認識の概観:アジアバロメーター2003-08
中国における対外認識の概観:アジアバロメーター2003-08中国における対外認識の概観:アジアバロメーター2003-08
中国の対日認識の変化:アジアバロメーター2003-08中国の対日認識の変化:アジアバロメーター2003-08
日本の対中認識の変化:アジアバロメーター2003-08日本の対中認識の変化:アジアバロメーター2003-08
中国人従業員の日本人イメージの変化:1991-2007(単位:%)中国人従業員の日本人イメージの変化:1991-2007(単位:%)
『日中関係1972-2012』社会・文化編/目次 前半 冷戦体制下の「日中友好」 第2章 パンダがやってきた!(1972年):中国の対日ソフト・パ ワー史 (家永真幸) 第3章 大平学校とは何か(1979年):日中知的交流推進への 歩み (川島 真/小熊 旭) 第4章 進出か、侵略か(1982年):日中歴史認識問題の変遷と 課題 (川島 真) 第5章 歓迎、中野良子!(1984年):映画による相互イメージ の変転 (玉腰辰巳) 第6章 もう一つの六・四「事件」(1989年):日中の相互認識を めぐる報道フレームの転換 (高井潔司)
後半 錯綜する利益とまなざし 第7章 台湾・総統選挙の衝撃(1996年):日中関係を揺さぶる 台湾ファクター (清水 麗) 第8章 酒田短期大学、廃校す(2002年):留学生をめぐる日中 交流秘史 (牧野 篤) 第9章 北京工人体育場の悲劇(2004年):スポーツにみる日 中関係史 (吉岡桂子・斎藤徳彦) 第10章 大連、吹き荒れるストライキ(2005年):日本人ビジネ スマンが見た企業内摩擦の変遷 (園田茂人) 第11章 「池袋中華街」構想に「待った」(2008年):日本型共生 に向けて(陳 來幸)
『日中関係1972-2012』社会・文化編・主な論点『日中関係1972-2012』社会・文化編・主な論点 1)日中国交回復後40年を相互認識という点から見ると、最 大の分岐点が89年の「六・四天安門事件」である。これに よって、少なくても日本からすれば、従来の「友好フレー ム」から「普遍フレーム」へと大きく変化した。 2)「友好フレーム」の象徴は、パンダ(中国)や映画(日本)で あり、対人的な接触とは無関係のイメージ形成が支配的 だった。また、政府の果たす役割が相対的に大きかった が、日本では89年以降、特に非政府間関係が「普遍フ レーム」の形成に大きな影響力を与えた。
3)「普遍フレーム」をうまく利用したのが台湾であり、台湾の民3)「普遍フレーム」をうまく利用したのが台湾であり、台湾の民 主化は、日本の対中イメージを悪化させる大きな要素となっ た。他方で、台湾と連携しようとする日本の動きは中国側か ら不快に思われるようになり、イメージの「不定型化」を促進 させることとなった。 4)イメージの「不定型化」は、民間の交流チャネルが大きくなっ た原因でもあり、結果でもある。ところが、民間の交流チャネ ルによって作られるイメージは、必ずしも国家間関係による イメージとは一致していない。
来週、5月25日(金)は、緊急の出張予定が入ってしまったため、授業を行うことができません。そのため、以下の課題についてレポートを作成してもらい、5月29日(火)の午後10時まで、園田宛メール(shigetosonoda@yahoo.co.jp)にて貼付ファイルでお送りください。来週、5月25日(金)は、緊急の出張予定が入ってしまったため、授業を行うことができません。そのため、以下の課題についてレポートを作成してもらい、5月29日(火)の午後10時まで、園田宛メール(shigetosonoda@yahoo.co.jp)にて貼付ファイルでお送りください。