740 likes | 1.14k Views
精神分析の 長期化と短期化. スーパーヴィジョン. 経験のある、教育的な立場に立てる心理療法家が心理療法を学ぼうとする人に対して 一対一で 一定期間以上 定期的に行う 指導的な分析および面接である. コンサルテーションその他. 心理療法家が、心理療法の進めかたに困ったり、一度、長い経過についての見直したりするために他の経験のある心理療法家に指導を受けることを言う。 事例発表 事例検討会 それぞれの機能があり、これを使えるようになることが臨床的な発達と関連する. スーパーヴィジョンの問題点. 学派や技法の問題
E N D
スーパーヴィジョン 経験のある、教育的な立場に立てる心理療法家が心理療法を学ぼうとする人に対して 一対一で 一定期間以上 定期的に行う 指導的な分析および面接である
コンサルテーションその他 心理療法家が、心理療法の進めかたに困ったり、一度、長い経過についての見直したりするために他の経験のある心理療法家に指導を受けることを言う。 事例発表 事例検討会 それぞれの機能があり、これを使えるようになることが臨床的な発達と関連する
スーパーヴィジョンの問題点 学派や技法の問題 治療者の逆転移をどの程度扱うかという問題(個人分析と指導分析の混同の問題) パラレル・プロセスという現象 ヴァイジーをどのように評価するか 治療的な倫理に抵触する場合 ヴァイジーの発達の問題 相性の問題
ヴァイザーの発展 心の中のスーパーヴァイザー(Casement)=自己モニタリング 発達する三つの側面 模倣的段階 imitative learning 修正的段階 corrective learning 創造的段階 creative learning
訓練分析および個人分析 訓練分析 週四回以上、国際精神分析協会で決められた基準 教育分析:その一般通称 個人分析:週一回から二回の心理療法の基本としたもの
候補生、あるいは研修生 日本精神分析学会における特殊性(古澤、小此木、西園、そして現代への流れ) 学会はスーパーヴィジョン中心 協会は訓練分析中心の二層性 精神分析がしだいに性格分析的になっていった経緯と教育分析の意味の変化
Balint(1949)の分類 第一期:1918ブタペスト大会、1920年ベルリン研究所の開設 第二期 1920から1938年ごろまで 精神分析の評判が高くなってから、フロイトの死まで:非医師問題 第三期 1937年米国研究所の独立から今日まで
訓練分析の始まり フロイトがユングの前で倒れたこと アメリカ講演の船の上でユングはフロイトに自分のことを他人に語らないことを責めた。→フロイト発作 ユングの提案:すべての分析家は分析を受けること
1918年の提案 1918年のブタペスト大会:ナンバーグによって訓練分析の提案が行われ、オットー・ランクとタウスクの強力な反対にあって、否決された。 ランクとタウスクの反論の意図は不明であるが、提案が採択されるのは1926年になってからである。
1918から26年に起きたこと 娘アンナの分析1918、1924年 娘の心配をする父親 ガンの発見1923年 誰が精神分析家になるかについての決定 弟子ランクの離反1925年 最愛の息子の離反 メタ心理学の構築の失敗から新理論
性格分析 普通の分析つまり神経症的な傾向の分析ではなく、性格分析 「深層」(Heimann)、「超治療」(バリント) 「性格分析」(ギテルソン) →転移の分析から人格の問題に
訓練の姿=信念と愛 R.Ekstein(1953) 1.精神分析的トレーニングの歴史について フロイト「自身も受けた人が集まる」 でも去っていく人も多い。 ⇒サークルの形成「リングを持つ人たち」 →中央委員会 1920年代 「分析を受ける」「健康なら受けなくてもよい」の間 例外:アメリカでの専門化⇒力動精神医学 (1)優れた訓練形式を維持する (2)研究方法と臨床技法との両立を守るための困難を回避する (3)他の社会科学や生物学と十分に密な関係を確立する
2.候補生の選択 分析可能性ほかの議論と確立されてきた人格査定を含むメニンガーのようなシステム ⇒精神的なものへの興味:客観的には人間理解、主観的には自分の病気⇒ ①訓練分析 ②統制分析 ③セミナー 3.訓練分析:分析を通しておきること:自分の人生を振り返る⇒転移を体験する⇒逆転移を理解する
4.統制分析(指導分析) 分析している人のスーパーヴィジョン 5.研究と応用のための精神分析的トレーニング 6.研究所と伝統的学習センター 7.訓練分析と精神分析の未来 :精神分析を長期の統制された訓練と指導の結果生み出される特定の技術と特定の人間理解の方法であると考える。
訓練分析と心理療法 精神分析と精神療法は異なる Wallerstein(1982)のそれぞれの論考 1979年のトレーニング会議 Sandler vs Zimmerman 精神分析は治療と異なる何かをもたらすという発想の根拠 =自由連想法と毎日分析という枠組みと転移の全体的分析(分析の長期化をもたらす結果)
逆転移の歴史的文脈から a. S.Freud(1910) →治療者の無意識の感情のクライエントへの悪影響 b. M.Balint,A.Reichら →転移反応に対する逆転移を指摘 D.W.Winnicott(1958) 「逆転移のなかでの憎しみ」=客観的な逆転移 c. P.Heimann(1950) →分析の道具としての逆転移の感情を指摘。 d. B.Joseph,W.Bion以降 →投影同一化の受け皿としての逆転移
盲点と長期的な視点 訓練分析によって得られる自己分析 ↓ 自分の盲点の理解 =一生のもの(終わりなき分析) 訓練分析によって得られる情緒 ↓ 人に依存し、相談することで生じる転移(退行)の姿
逆転移と投影性同一視から相互投影とスーパーヴァイザーとしての患者逆転移と投影性同一視から相互投影とスーパーヴァイザーとしての患者 1.投影性同一視の問題点 治療者の間違いを患者の病理に還元してしまう=医原病症候群 2.相互作用の場=bipersonal field Little,M(1951)「逆転移」とそれへの反応 Searles,H(1975)「分析家のための治療者としての患者」 →無意識的なコメンテーター=修正する人=スーパーヴァイザーとしての患者
解毒と相互作用 訓練分析によって得られる経験 ↓ クライアントの境遇と立場=枠組みの体験 訓練分析によって得られる内省 ↓ 投影の解毒=相互作用の内在化 精神分析によって得られる理解が自分にとっての精神分析の意義と重なる
訓練分析および個人分析の意義 心理療法が治療者のパーソナリティを道具として、クライエントとの深い相互作用を認識することで成り立っているので、より良い理解を治療者自身がすること 治療そのものの体験によって、自分の心的過程、転移、抵抗、洞察などの現象を理解し、体験的に学ぶ 治療を受けたことのない人が治療をするべきではない
訓練分析の問題を指摘する人 米国の組織的な研究施設の訓練 Bernfeld(1962)、Kernberg(2000) 英国のクライン学派 Balint,Gloverの感じていた問題 Balint フェレンチィの後継者、独立学派 Glover 教育委員会を辞める Heimann(1955)
Balint(1948) クライン―フロイト論争時にコメントして 1947年 訓練組織における問題:あまりに自分の訓練分析家を尊敬してしまう。そしてあまり異論なしに教義的で権威的な治療に従順である。
Bernfeld(1952)ら ベルリン-アイティンゴンモデル 制度は思考を促進しない。 カーンバーグ(1996)(2000) 1.候補生を子供化 2.科学的孤立と無知 3.候補生の教育体験への無責任 4.権威主義と恣意性 5.外的な体験とその影響の否認
Heimann(1954) 訓練分析は普通の分析と区別する分析家にとって多くの問題が生じる 訓練のコースで受ける外的な障害を常に分析し、問題を道具にすることで、分析は深まる 分析家は純粋に分析的手続きに依拠する必要がある 分析家は自分の問題を認識して統治し、自分の逆転移をあいまいにしてはならない
日本の力動的な精神療法は短時間療法であるPsychodynamic psychotherapy in Japan is a Short-time psychotherapy. • 日本の精神分析導入の歴史(妙木&安斉、2005年):古澤は通信分析をはじめ変法と短期の分析体験を下に精神分析を導入した。先に心理を実践していた、矢田部も大槻もみなそうだった。 • 1970年代、この実践は国際学会と遠いところにあり、学会ではSVだけの精神療法を認めるシンポジウムが開かれ、精神分析ではなくなり、それは今日の学会資格に至るまで長い鎖国の歴史をもつ。 • アムステルダムショックが黒船になり、ようやくその特殊性がLacan同様に、見えてきている。 • 力動精神医学は定着せず、精神科の実践で精神分析は一度も流布することなく、不可能なままであり続けている。ただ認識だけが理想化されて、行われているのは短期療法である。 • それは週一回で終わりなきという実験的変法である
フロイトの事例: カタリーナ AureliaKronich 1893年に避暑地ホーエン・タウエルンの山小屋で で出会った田舎の女性で、シングルセッションで、ヒステリー症状、息苦しいなどの症状が改善した事例
ブルーノ・ワルター 1876-1962 指揮者、ピアニストとして活躍する。:1906年 右腕の局所麻痺の症状を6セッションでフロイトの治療を受けて、治癒した。
マーラー 1860-1911 G.マーラー:夫婦関係の悩み、特にインポテンツのためにフロイトを訪れ、4時間ほど(4セッション)散歩をするセッションをもち、精神分析への理解と動機の高さのため治癒した、という。
狼男 SergejKonstantionovich Pankejev(1885-1979) フロイトのもっとも重要な しかも理論的に多くの問題 を残したクライアントとして 生きた。
狼男の生育歴 生後三ヶ月 肺炎に罹って死にかける.のちにそれを大人たちから聞き,死への不安から過食になった.(一番最初に現れた神経症的障害) 幼児期 両親が家を売って都会に引っ越した.(狼男にとって大きな変化) 二歳半の夏 両親が数週間旅行に出かけたが,姉とともに留守番.英国人の女家庭教師が雇われた.狼男は優しく,おとなしい,静かな子供であったが,両親が旅行から帰ってみると,不平がちになり,敏感でいらいらし,暴れたり,泣き叫んだりする子に変わってしまった.母親は変化の原因を英国女のせいだと思い,彼女を解雇するが,短気な性格は少しも治らなかった. (クリスマスの日に誕生日とクリスマスの二重の贈り物をもらえず,激怒)
四歳誕生日前 狼の夢を見,狼に食べられるのではないかという不安に襲われて泣いた.それ以降,狼恐怖が続く.姉は,いつも彼をいじめ,怖がることをしては面白がった.(狼の絵本を見るように仕向け,狼男が怖がるのを見て喜んでいた)狼男は,狼だけでなく,他の動物や昆虫にも恐れや嫌悪を感じるようになった.同時に,それらに残酷な行為をするという矛盾した態度が起こった. 四歳誕生日前 狼の夢を見,狼に食べられるのではないかという不安に襲われて泣いた.それ以降,狼恐怖が続く.姉は,いつも彼をいじめ,怖がることをしては面白がった.(狼の絵本を見るように仕向け,狼男が怖がるのを見て喜んでいた)狼男は,狼だけでなく,他の動物や昆虫にも恐れや嫌悪を感じるようになった.同時に,それらに残酷な行為をするという矛盾した態度が起こった. 四歳半 母親は狼男を矯正させようと聖書の物語を読んで聞かせた.これによって狼恐怖は消失したが,代わって,就寝前に長いお祈りをし際限なく十字を切ったり,夕方には部屋中の聖像に接吻して廻らねばならないという強迫観念に悩まされるようになった.
十歳 ドイツ人男性の家庭教師が雇われ,狼男に大きな影響を与えた.この人物は宗教に価値を認めていなかったため,狼男の信仰心は薄れそれまで続いていた強迫症状は消失した.その代わり,路上に大便が三つ転がっているのを見ると三位一体を連想するという強迫が新たに現れた.しかし思春期が近づくにつれ,ドイツ人男性の影響下で,狼男の症状は減じほぼ正常な状態を維持できるようになった.十歳 ドイツ人男性の家庭教師が雇われ,狼男に大きな影響を与えた.この人物は宗教に価値を認めていなかったため,狼男の信仰心は薄れそれまで続いていた強迫症状は消失した.その代わり,路上に大便が三つ転がっているのを見ると三位一体を連想するという強迫が新たに現れた.しかし思春期が近づくにつれ,ドイツ人男性の影響下で,狼男の症状は減じほぼ正常な状態を維持できるようになった.
狼の夢(幼少時代にみた) 「私はこんな夢を見なした。『夜私はベッドに寝てしました。(私のベッドは足の方が窓を向いており、その窓の向こうには古いくるみの木がずらりと並んでいました。その夢は冬のこと、確かに冬の夜のことだったと思います)。急に窓がひとりでに開きました。窓の向こうの大きなくるみの木に幾匹かの白い狼が座っているのを見て、私はびっくりしました。狼は六匹か七匹いました。彼らは真白で、どちらかといえば狐かシェパードのように見えました。というのは、それが狐みたいにおおきなしっぽをもち、その耳は何かを狙う犬みたいにピンと立っていたからです。この狼たちに食べられるのではないかという非常な不安に襲われて、私は大声をあげ、泣き出し』、目が醒めました。
狼男に関わった人々 • 1918年に発表した『幼児神経症の病歴から』 • 1919年4ヶ月の間、フロイトの提案で、無料の精神分析が行われた。 • フロイトが指導していたルース・ブルンスビックの分析を受けることになる(1926-1938)。 • ブルンスビックの待合室で、ムリエル・ガーディナーと出会い、ロシア語の家庭教師になる→ The Wolf-Man by Wolf-Man(1971)の編集が行われる。 • 1955年Frederick Weilがロールシャッハをとる(強迫神経症と診断する) • Kurt Eisslerが15年間一ヶ月ごとに録音インタビュー • Karin Obholzerが亡くなるまでの間インタビュー →『W氏との対話』(1982)の出版
その後の狼男 • 市民戦争のために財産を失ってしまった。 • 自分がフロイトの患者であったことが自分が父親から愛されることになった。 • 保険会社に勤めて、1950年(65歳)に退職するまでカフカのように過ごす。 • 1938年ヒトラーの入都とともに妻が自殺する→ガーディナーらが亡命させる • ブルンスヴィックの毎日分析をパリ、ロンドンでも受けている • 1953年まで母親と暮らしていた。 • 狼男として最後まで生きる
狼男の問題 • 精神病的症状 その後の経過:小此木の境界例論 • フロイトの原光景論 夢と幻覚、そして認識 • 構成の現実性とは何か:事後性 精神分析にとって現実とは何か • 終わりある分析と終わりなき分析 精神療法技法論文の最後の修正
フロイトの「過去」の問題 • 「歴史的真実」 • 隠蔽記憶 • 事後性Nachtraglichkeit → 過去は現実かどうか 特に初期フロイトの治療は短かった。
フロイトの技法論文 • 1910年代にほぼその全体像が完成する。 「自我とエス」に収束する治療モデルが完成する • 1937年になって、二つの技法論文が登場する。これは前者の技法論文についての帰納法的手法から異議のあるものであった。「終わりがない」「構成である」
終わりなき精神分析 • 晩年の技法論文の問題 「終わりある分析と終わりなき分析」(1937) 「分析における構成の仕事」(1938) • 解釈学的、構成主義的、あるいは交流主義的な転回点として精神分析を再構成する可能性 • 精神分析が独自の領域かどうかという問題 long-term psychotherapy(Gabberd)
歴史的な経緯 Ferenczi&Rank『精神分析の発展』(1923) ・治療関係の情緒的な交流 ・治療の短期化の試み 短期療法の流れ →Balint、Malan 焦点化の心理療法 →Mann 時間の操作的心理療法
ランク(1884-1939) • フロイトの若き秘書:大学に再入学 • 出生(出産)外傷理論 • 時間制限療法、中断療法 フロイト以後 • パリ、米国へと亡命 • アナエス・ニンの分析 • 意志療法will therapy⇒ロジャース
フェレンチィ(1873-1933) • 積極技法の提唱 前期:禁欲 後期:リラクセーション技法 ⇒相互分析 フロム、バリントらブタペストのハンガリー学派を形成した(晩年、フロイトとの関係が問題になり、長く隠蔽された)
ライヒ,W(1897-1957) • 1920年ウィーン精神分析協会会員 • 衝動性格論 衝動性格と衝動抑制型の神経症、 およびマゾヒズム的性格 • 性格分析、振る舞い分析 • 不安学説、→オーガズム体験による解放 • 1930年ベルリン研究所、ラドから分析を受ける • 「ファシズムの大衆心理」(1934) • 1934年除名 • Vegetotherapy→ orgonnbox • 1957年に刑務所に入る、精神分裂病と診断 →ローエンらbioenergetics
1925年に起きたこと • 最後の弟子の離脱と創始者のガンから 教育・訓練分析のシステム化 →分析家の養成 • 分析研究所の基準設定 セミナー・教育・分析体験の標準化 →研究方法の確立 定点観察:観察者問題の標準化
長期化のなかで生み出された理論 • 対象関係理論 人の心の布置をたんねんに探索して、それを再構成していく作業 →ウィニコットとビオン クライン学派におけるcontainment 中間学派におけるholding 時間と転移と解釈は前提だとしても。
短期療法の歴史 • フェレンチィ 積極技法 active therapy • ランク 意志療法 will therapy • シュテーケル 焦点化療法focused therapy • アレキサンダーとフレンチ 修正感情体験 corrective emotional experience • シフニオス 不安喚起療法 anxiety provoking therapy • マン 時間制限心理療法 time-limited psychotherapy • バリント 焦点療法 focal therapy • マラン scientific outcome research • ダーバンルー 試行セラピー trial therapy その後、APAでは力動的な心理療法が開発される
アレキサンダーFranz Alexander 1891-1964 • 米国の力動黄金時代における精神分析 1950年代におけるシカゴ精神分析研究所のなかでの闘争:Alexander&French(1946)のshort forms of psychoanalytic psyochotherapy =修正感情体験を重視する。 1. 自由連想の放棄 2. 期間短縮、回数操作 3. カウチの廃止など
バリント(1896-1970)とマラン • バリントはフェレンチィの伝統のなかで、タヴィストッククリニックで、焦点化心理療法を発展させた。 • GPらの一般医の心理療法のためのチームを組み、それを流布させる作業をした。