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8A ・日本におけるマイノリティ (1). 2009.06.17. 成蹊・文化人類学 Ⅰ. アイヌとは (1). アイヌとは、「人間」を意味 する
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8A・日本におけるマイノリティ(1) 2009.06.17. 成蹊・文化人類学Ⅰ
8A・日本におけるマイノリティ(1) アイヌとは(1) • アイヌとは、「人間」を意味する • アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を神(カムイ)とみなし、日々の生活のなかで、祈り、さまざまな儀礼を行いました。それらの神々には、火や水、風、雷といった自然神、クマ、キツネ、シマフクロウ、シャチといった動物神、トリカブト、キノコ、ヨモギといった植物神、舟、鍋といった物神、さらに家を守る神、山の神、湖の神などがあります。そういった神に対して人間のことを「アイヌ」と呼ぶのです。(アイヌ民族博物館ホームページより) • 映像資料:「日本 映像の20世紀 北海道前編」より「アイヌ」の紹介 • 2000年4月9日・NHK
8A・日本におけるマイノリティ(1) アイヌとは(2) • アイヌは、1つではなくもともと複数の民族集団からなる • 右=近世におけるアイヌの分布 • 15世紀以降、南からの和人の勢力が北海道内に流入し、アイヌと衝突する • 1457年コシャマインの戦い • 1669年シャクシャインの戦い • 1789年クナシリ・メナシの戦い • 1869年の明治政府による北海道の編入 • 北海道は全島が日本領 • 1875年、日露間で千島樺太交換条約が結ばれる • 千島は日本領・樺太はロシア領
8A・日本におけるマイノリティ(1) 千島樺太交換条約の背後で起こったこと • 1875年 千島列島を領有・樺太を放棄 • cf. 千島アイヌ……近世には北千島・中部千島・南千島の3集団からなり、カムチャツカ半島の住民との交易が15~16世紀頃には始まっており、また千島産のラッコ皮や鷲羽などが日本にもたらされていた。近世後期、中部千島以北はロシア、南千島は日本側の勢力下にあったが、1875年樺太・千島交換条約によりすべて日本の統治下におかれた。ロシア化されていたシュムシュ(占守)島やポロムシル(幌筵)島の北・中部千島アイヌ97人は、1884年シコタン(色丹)島に移住させられたが、環境が合わず5年の内に半数が死亡、さらに第二次大戦時のソヴィエト侵攻により色丹島から根室に強制引き揚げを余儀なくされた。 • cf. 樺太アイヌ……樺太のアイヌは3年後に日露いずれかの国籍を選ぶことになっていたが、1875年10月、日本は樺太アイヌ841人を北海道に強制移住させた
8A・日本におけるマイノリティ(1) 大日本帝国における「アイヌ」 • 幕末以降、大和民族からの視点では、「劣等民族」として位置づけられ、教化・同化の対象であった • 原住民展示(1912年拓殖博覧会展示=次からのスライド参照)
8A・日本におけるマイノリティ(1) 拓殖博覧会展示の北海道アイヌの住居 • 右の女性は金田一京助の著作で有名な鍋沢コポアヌ媼
8A・日本におけるマイノリティ(1) 拓殖博覧会展示の樺太アイヌの住居 • 左から木村チカマ、坪沢テル、影山チウカランケ、坪沢六助の各氏
8A・日本におけるマイノリティ(1) cf. 原住民展示(1) • 1889年パリ博で「展示」された植民地住民と観客
8A・日本におけるマイノリティ(1) cf. 原住民展示(2) • 1904年セントルイス博で「フィリピン村」に「展示」されたイロンゴット
8A・日本におけるマイノリティ(1) 大日本帝国における「アイヌ」 • 幕末以降、大和民族からの視点では、「劣等民族」として位置づけられ、教化・同化の対象であった • 原住民展示(1912年拓殖博覧会展示) • レジュメ8B-資料2旧土人保護法(1899年) • レジュメ8B-資料1国定教科書におけるイメージ