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脱原子力の鍵・核燃料サイクル. 2013年9月23日 吉岡斉(よしおか・ひとし) 九州大学副学長,大学院比較社会文化研究院教授 元福島原発事故調査・検証委員会(政府事故調)委員. 1. 1. 筋書き. 1.核燃料サイクル技術のあらまし 2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開 3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか 4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟. 2. 1.核燃料サイクル技術のあらまし 1-1.核燃料サイクルとは何か.
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脱原子力の鍵・核燃料サイクル 2013年9月23日 吉岡斉(よしおか・ひとし) 九州大学副学長,大学院比較社会文化研究院教授 元福島原発事故調査・検証委員会(政府事故調)委員 1 1
筋書き 1.核燃料サイクル技術のあらまし 2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開 3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか 4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟 2
1.核燃料サイクル技術のあらまし 1-1.核燃料サイクルとは何か1.核燃料サイクル技術のあらまし 1-1.核燃料サイクルとは何か 核燃料サイクルとは、核燃料の採鉱から廃棄までの全工程を包括的に表現する言葉である。ここで「サイクル」という言葉には、核燃料の循環的再利用の含蓄がふくまれている。しかし現在の原子力工学の用語法では、循環的再利用の如何にかかわらず、核燃料の揺籠から墓場までの流れを、核燃料サイクルと呼んでいる。(日本の法令用語とは異なる。) 核燃料サイクルの組み立て方は、大きくワンススルー(once-through)方式(つまり1回限りで核燃料を使い捨てにする方式)と、リサイクル方式(使用済核燃料の一部を再利用する方式)に分けられる。後者の方式を実施するには、使用済核燃料の再処理が不可欠である。 3
1.核燃料サイクル技術のあらまし1-2.高速増殖炉サイクル1.核燃料サイクル技術のあらまし1-2.高速増殖炉サイクル さらにリサイクル方式は、軽水炉等の熱中性子炉を用いるタイプ(いわゆるプルサーマル,旧動燃の植松邦彦氏の命名によるとされている)と、高速増殖炉を用いるタイプとに分けられる。 プルサーマルでは、核燃料の「有効利用率」(利用できる正味のエネルギーとは異なる)が、最大限25%程度高まるに過ぎない。 高速増殖炉サイクルでは、核燃料の「有効利用率」が、最大限数十倍(つまり数千%)となる。それが高速増殖炉開発の、公称上のセールスポイントとされてきた。 しかし高速増殖炉に実際に期待された役割は、ウラン資源節約型(ウラン資源埋蔵量は1950年代まで、あまり豊富ではないと考えられており、核兵器への利用が優先された)であり、かつ兵器級プルトニウム生産に好適な原子炉(ブランケットの劣化ウランに高速中性子が入射すると、プルトニウム239の純度がきわめて高いプルトニウムが生ずる)、というものだった。 4
1.核燃料サイクル技術のあらまし1-3.フロントエンド1.核燃料サイクル技術のあらまし1-3.フロントエンド 核燃料サイクルは、フロントエンド(原子炉への装荷まで)と、バックエンド(原子炉から取り出してのち)の、2つの部分に分けられる。 [フロントエンドの主要工程] ⑴探鉱・採鉱:天然ウラン鉱石を探し出し、掘り出す。 ⑵製錬・精錬:高純度の二酸化ウラン(UO2)をつくる。 ⑶転換:気体状態の六フッ化ウラン(UF6)に転換する。 ⑷濃縮:核分裂性ウラン(U235)の濃度を高める。 ⑸再転換:元の二酸化ウラン(UO2)に戻す。 ⑹成型加工:二酸化ウラン粉末を焼結しペレットとする。 ⑺燃料集合体製造:ペレットを燃料棒に詰め、束ねる。 ⑻炉心への装荷:まず外周部に装荷する。 5
1.核燃料サイクル技術のあらまし1-4.バックエンド1.核燃料サイクル技術のあらまし1-4.バックエンド [バックエンドの主要工程] ⑼取出し:使用済核燃料を貯蔵プールに入れる。 ⑽冷却・貯蔵:放射能レベルを減衰させる。 ⑾再処理:使用済核燃料の成分を化学的に分離する。 (プルトニウム、回収ウラン、高レベル廃液に分離。) ⑿ガラス固化体製造:高レベル廃液をガラス固化する。 ⒀混合酸化物(MOX)燃料製造:プルトニウム含有核燃料を作る。 (軽水炉、又は高速増殖炉に装荷。) 以上の工程中、機微核技術(SNT)に当たるのは、⑷ウラン濃縮、⑾再処理、⒀MOX燃料製造、の3つ。 また高速増殖炉も、高濃度MOX燃料を使い、また兵器級プルトニウムを生み出すので、機微核技術(SNT)に該当。 6
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-1.非核兵器保有国と機微核技術2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-1.非核兵器保有国と機微核技術 原子力開発利用の草創期から、核兵器保有国は核兵器保有国を増やさないようつとめてきた。(二国間協定による縛りや、国際原子力機関IAEAの管理などを通して。ときには外交的圧力によって)。 核兵器独占・寡占政策を進めてきた国々の、最初の大きな到達点は、核兵器不拡散条約NPT(1970年発効)である。(その後も核物質防護条約や原子力資材供給国ガイドラインなどの国際条約・協定が締結されてきた。) しかしNPT(第4条)では、平和的目的への開発利用を加盟国の「奪い得ない権利」として規定している。したがって、平和的目的を掲げた機微核技術(SNT)の開発利用を、国際社会はいかなる加盟国に対しても禁止できない。 とはいえ非核兵器保有国の中で唯一日本だけが、機微核技術(SNT)の開発利用を進めている。(しかも4点セットを完備している。)いわば「核クラブ」準会員の特権をもつ。 7 7
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-2.日本の機微核技術政策(1)2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-2.日本の機微核技術政策(1) 日本政府は、原子力開発利用の草創期から、核兵器保有は憲法上は可能であるが、政策として核兵器保有をしないと公言してきた。 ただし中国核実験(1964年)をうけて、佐藤栄作政権(1964年~72年)時代に、各省庁(外務省、防衛庁、内閣調査室など)で核兵器保有に関する部内での検討が行われた(佐藤首相の指示の有無は不明)。また佐藤首相は、アメリカ(ジョンソン大統領)との間で、日本核武装に関する意見交換を行った。 外務省が1969年にまとめた「我が国の外交政策大綱(非公開だった)には、以下のように書かれている。「核兵器については、NPTに参加すると否とに関わらず、①当面核兵器を保有しない政策を採るが、②核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、③これに対する掣肘を受けないよう配慮する。」 この「経済的・技術的ポテンシャル」に相当するものが、機微核技術(SNT)の開発利用事業である。 8 8
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-3.日本の機微核技術政策(2)2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-3.日本の機微核技術政策(2) この基本方針のもとで日本政府は、機微核技術(SNT)開発利用計画を推進してきた。 その制度的基盤はすでに、核兵器不拡散条約(NPT)に関する国際協議が始まる前から、国内で着々と構築されつつあった。1967年設立の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が、その主役であった。 動燃による機微核技術(SNT)開発プロジェクトが全て軌道に乗るまで、NPT批准は繰り延べされた(1976年7月批准となった)。 この日本の批准を待っていたかのように1977年、アメリカ政府(カーター政権)が東海再処理工場のホット試験(使用済核燃料を再処理してプルトニウムを抽出する最終試験)に介入したが、日本側は強く抵抗し、何とかホット試験実施(とその後の運転開始)にこぎ着けた。 その後、これほど紛糾したケースはないが、アメリカ政府は核兵器不拡散の観点から、日本のプルトニウム利用計画に注目し続けている。(ただしウラン濃縮や高速増殖炉をめぐる紛糾は表面化していない。) 9 9
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-4.日本の機微核技術政策(3)2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-4.日本の機微核技術政策(3) 核燃料サイクルの主要三事業をフルパッケージで推進しているのは、核兵器保有国として核不拡散条約で承認されている5カ国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)のうちロシアだけである。 アメリカはウラン濃縮のみ実施している。 イギリスは高速増殖炉開発を中止している。 フランスも高速増殖炉開発を中止している。 中国はウラン濃縮・民事用再処理・高速増殖炉のいずれも幼稚段階。 「三位一体」を誇っているロシアでも、高速増殖炉といわれる原子炉は、実際にはウラン燃料を用いているため、増殖能力をもたない。 こうみてくると日本は非核兵器保有国であるとはいえ、世界的にも最も機微核技術開発利用に熱心な、希有な国であるといえる。 10 10
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-5.ウラン濃縮2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-5.ウラン濃縮 動力炉・核燃料開発事業団(動燃)のウラン濃縮が、ナショナル・プロジェクトに指定されたのは1972年。 パイロットプラント(50tSWU:分離作業単位)の全面操業は1982年。 原型プラント(200tSWU)の全面操業は1989年。 1985年、日本原燃産業(1992年に日本原燃サービスと合併し日本原燃となる)が発足し、青森県六ヶ所村に商業用ウラン濃縮工場(1500tSWU)を建設することを決定した。 しかし全面操業に至っていない。1998年に予定の7割にあたる1050トンSWU/年までこぎ着けたが、そこで建設停止。その一方、既設の遠心分離機の故障が相次ぎ、遠心分離機の7 系統(それぞれ150 tSWU/年)すべてが、2010年12月に停止した。 2013年5月現在、75tSWU/年の新鋭遠心分離機の運転が開始されたが、アリバイづくりの事業と思われる。 11 11
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-6.核燃料再処理(1)2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-6.核燃料再処理(1) 東海再処理工場建設が始まったのは1971年である。77年のホット試験をめぐり日米間で紛糾があったが、何とか合意がえられ、1981年に本格運転を開始した。しかしその運転は故障の連続できわめて悪い設備利用率となった。 日本原燃(サービス)は、東海再処理工場を運転してきた動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の技術を信用せず、ほぼまるごとフランスのCOGEMA社から、商業用再処理工場の技術を買うこととなった。それが六ヶ所再処理工場(1993年着工)である。 日本原燃六ヶ所再処理工場は当初計画では、1997年操業開始の予定だったが、スケジュールは大幅に遅延したが、2000年までに基本的に完成し、一連の試験が始まった。 使用済核燃料からプルトニウムを抽出する「アクティブ試験」が2006年3 月31日にスタートした。その時点では、操業開始は2007年 8月と見込まれた。しかし試験中に高レベル廃液ガラス固化設備の心臓部にあるガラス溶融炉のトラブルなどで、停まったままである。 12 12
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-7.核燃料再処理(2)2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-7.核燃料再処理(2) 六ヶ所再処理工場は基本的にフランスのラアーグ再処理工場UP-3のコピーであるが、高レベルガラス固化設備の心臓部にあるガラス溶融炉だけは、旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の国産技術(マイクロ波ではなくジュール熱で廃液を溶かす)に基づいている。動燃が東海再処理工場での実績を全否定されたくないために、この工程だけ国産技術の採用を強く働きかけたといわれている。しかし国産技術が躓きの石となっている。 2011年3 月11日の東日本大震災で、六ヶ所再処理工場への外部電源は途絶え、非常用ディーゼル発電機が稼働した。 4月7日の余震の際にも同様のことが起こった。幸いにも全電源喪失という事態は避けられた。しかし試験運転再開の見通しは立っていない。 福島原発事故により日本原燃の筆頭株主の東京電力は経営危機に陥り、他の電力会社も福島原発事故の影響で大きな経済的負担を強いられている。そうした状況下で電力業界が今後も再処理事業を経済的に支えていくことは極めて困難な情勢となっている。 13 13
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-8.高速増殖炉(1)2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-8.高速増殖炉(1) 高速増殖炉原型炉もんじゅは1995年12月にナトリウム漏洩・火災事故を起こし、その後長期にわたる停止状態となった。 原子力委員会高速増殖炉懇談会の報告により、もんじゅ運転再開への道筋が付けられたかにみえたが、再開までの道のりは長かった。 2003年1月27日に名古屋高等裁判所金沢支部によって言い渡された、もんじゅに対する行政訴訟の控訴審判判決では、原子炉設置許可処分の無効が判示された。これによりもんじゅの運転再開に黄信号がともった。しかし2005年5月30日に最高裁判決において、高裁の設置許可無効判決が破棄された。 核燃料サイクル開発機構(その翌月から日本原子力研究開発機構)は2005年9月、もんじゅ改造工事の本体工事を開始した。本体工事は順調に進められ2007年5月に終了した。その後、機器の故障・トラブル、MOX 燃料の劣化(核分裂性のプルトニウム241は12年の半減期でアメリシウム241へと壊変し、それにより核燃料中の核分裂物質が徐々に減っていく)などにより運転再開は4 回も延期された。 14 14
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-9.高速増殖炉(2)2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-9.高速増殖炉(2) しかしついにもんじゅは2010年5月6日、停止後から14年ぶりに運転再開し、5月8日に臨界に達した。だが運転中に種々のトラブルが続出した。そのクライマックスとして2010年8月26日、核燃料交換時に用いる重さ3.3 トンの炉内中継装置をクレーンで吊り上げたときに、それが原子炉容器の底部へ落下した(2011年6月24日回収)。 回収作業難航のさなか、2011年3月11日に福島原発事故が発生した。それにより、もんじゅ運転再開への世論の風当たりが強まった。また政策転換による廃止の可能性が生じた。 民主党政権の革新的エネルギー・環境戦略(2012年9月)では、もんじゅの実験炉としての運転が認められ(ただし実験終了後の廃止方針が示された)。またいる。 しかし原子力規制委員会により、活断層(破砕帯)調査の俎上に載せられた。さらに機器の点検漏れ多発などにより、2013年5月29日、無期限の運転禁止の命令が下された。 15 15
2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-10.プルサーマル2.日本における機微核技術(SNT)開発利用の展開2-10.プルサーマル 1980年代後半(1986年から91年)、商業用軽水炉で少数体規模での照射試験が開始された。その次のステップとして計画された実用規模実証試験計画は立ち消えとなり、大急ぎで大規模な商業利用実施計画が1997年に登場した。 当時は1999年に開始する計画となっていた。そして2010年までには全国16基から18基で全面実施することが予定されていた。ところが度重なる事故・事件により、商業的なプルサーマル開始は当初予定から丸10年の遅れが生じた。 2009年12月、九州電力玄海 3号機を皮切りにプルサーマルが実施された。その後2010年 3月に四国電力伊方 3号機、同年10月に東京電力福島第一 3号機、2011年 1月に関西電力高浜 3号機でプルサーマルが開始された。だが福島原発事故により福島第一 3号機は大破した。他の電力会社も原発そのものの存続に黄信号がともっているなかで、プルサーマル計画どころではない状況にある。 16 16
3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-1.エネルギー・環境会議3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-1.エネルギー・環境会議 2011年10月21日の閣議決定「国家戦略会議の開催について」にもとづき、政府11年10月28日、エネルギー・環境会議を設置した。 メンバーは、国家戦略担当大臣が議長、経済産業大臣と環境大臣が副議長をつとめ、エネルギー・環境関係の各府省大臣が揃う。 これは従来のエネルギー・環境関係の審議会(内閣府原子力委員会、経済産業省総合資源エネルギー調査会、環境省中央環境審議会)などの上位に立つ。内閣が原子力政策の決定権をもつ。 下位委員会の報告をふまえ、2012年6月29日、会議は「エネルギー・環境に関する選択肢」を発表した。(2013年における原発の発電電力量に占める比率を0%、15%、20~25%の三択で提示。これは防衛力整備計画のような異様なもの。また15%に誘導することで、実質的に既設の全原発を維持することを作為的に狙ったか。) それについて意見聴取会、パブリックコメント、討論型世論調査を実施することにより、国民意見の確認を行った。 17
3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-2.革新的エネルギー・環境戦略3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-2.革新的エネルギー・環境戦略 それにもとづいて2012年9月14日、エネルギー・環境会議は「革新的エネルギー・環境戦略」を発表した。それは5節に分かれている。 (1)原発に依存しない社会の一日も早い実現 (2)グリーンエネルギー各面の実現 (3)エネルギー安定供給の確保のために (4)電力システム改革の断行 (5)地球温暖化対策の着実な実施 国民の関心を集めたのは、もちろん第1節である。 3つの原則が掲げられ、2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入することがうたわれている。 (1)40年間運転制限制を厳格に適用。 (2)原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ再稼働。 (3)原発の新設・増設は行わない。 18
3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-3.新核燃料政策の矛盾(1)3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-3.新核燃料政策の矛盾(1) 新戦略における原子力発電政策の内容は、政策転換を明記したものとして評価に値する。 しかし新戦略における核燃料政策は、3つの重大な欠陥を抱える。 (1)多くの重要事業についての具体的方針が、示されていない。たとえばウラン濃縮への言及は全くない。また福島事故により緊急性が著しく高まった「処理・処分関係事業」への具体的言及が乏しい。 ①余剰プルトニウム処理・処分 ②使用済核燃料貯蔵・処理・処分 ③高レベル廃棄物最終処分 ④事故炉の隔離・処理・処分 ⑤事故廃棄物(事故由来廃棄物を含む)の処理・処分 だが、上記5つの課題こそ、重要度も緊急度も高い。それらの解決に道筋を付けることを、最優先課題とすべきである。 19
3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-4.新核燃料政策の矛盾(2)3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-4.新核燃料政策の矛盾(2) (2)脱原発の方向性と逆行する方針が、再処理事業に関して示されている。核燃料再処理については「青森県との約束(だが法的拘束力のない原子力関係者の間での紳士協定に過ぎない)」を力説しつつ、従来の方針に従い取り組むとされている。 この部分だけ政策を変えないというのは国民の上位に青森県を置くことであり主客転倒である。再処理継続をこれ以上進めれば、「処理・処分関係事業」の円滑な推進が、ますます困難となる。 もちろん青森県に移送された使用済核燃料は、一定の猶予期間を置いて、乾式貯蔵施設が受入可能になり次第、返還されるべきである。ただし猶予期間は必要不可欠である。 (3)高速増殖炉については、研究炉として廃棄物の減容や有害度の低減の研究を行ってから廃止するとされている。しかしそれを目的とした大型炉を建設しない限り、研究する意味がない。(炉型を問わず、原発は造らないと決めたはず。) 20
3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-5.エネルギー・環境戦略の無力化3.機微核技術政策のゆらぎは収束するか3-5.エネルギー・環境戦略の無力化 新戦略に実効性をもたせるには、すみやかな法制化を実現する必要がある。ドイツの脱原発政策は、この手順をしっかり踏んでいる。 しかし日本では、法制化へ向けての作業が全く進展しないまま民主党連立政権が消滅し、自由民主党連立政権が発足した。 そうした法制化の不発を示唆する兆候はあった。それは閣議決定の段階で、早くも多くの「柔軟化」を許す表現が入り込んだことである。 2012年9月19日の閣議決定「今後のエネルギー・環境政策」には、「今後のエネルギー・環境政策については『革新的エネルギー・環境戦略』を踏まえて、関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する。」とあったのである。 この閣議決定を、自民党連立政権はまったく無視し、なかったかのように扱っている。(たとえばエネ調総合部会では、2010年のエネルギー基本計画が、現在も有効である、という立場をとっている。) 21
4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-1.脱原子力国家4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-1.脱原子力国家 「脱原子力国家」とは、原子力(核エネルギー)の民事利用(非軍事利用)の中核をなす原子力発電について、その廃止へ向けて着実に前進するだけでなく、原子力の軍事利用についても、その縮小へ向けて先導的な役割を引き受ける国家を指す。 具体的には機微核技術(ウラン濃縮、核燃料再処理、高速増殖炉の三者を大黒柱とする)の開発利用からも脱却するとともに、核兵器に依存しない安全保障政策を進める国家を指す。 日本はそうした「脱原子力国家」とは正反対の方向に歩んできた。原子力発電に関しては、機微核技術である核燃料サイクル開発利用も含めて、積極的な拡大政策をとってきた。またアメリカ核戦略に全面的な臣従路線をとり、それを支えてきた。 しかし福島原発事故を契機として、政策転換のチャンスが生じている。 ①原発ゼロ状態が実現。核燃料サイクル事業も実質的な凍結状態。 ②しかし核兵器については、解釈改憲による日米同盟強化の方向。 22
4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-2.原子力開発利用の2つの顔4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-2.原子力開発利用の2つの顔 原子力開発利用には2つの「顔」がある。 (1)エネルギー政策としての「顔」。原子力発電は、エネルギー供給の中で大きな役割を演じている。 (2)外交・安全保障政策としての「顔」。そこでの主役は機微核技術の開発利用である。また国家間協力の紐帯としての機能もある。(とくに、日米原子力同盟というキーワードで語られるように、日米関係は密接である。) 2つの「顔」は互いに支えあう関係にある。大規模な原子力発電事業が行われているからこそ、「平和的利用」の付帯事業として機微核技術の開発利用が正当化されている。また機微核技術開発利用が、インフラストラクチャーとして、原子力発電事業の推進を下支えしている。(実際には使用済核燃料管理の手だてとしての機能が主だが。) 23
4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-3.エネルギー政策としての脱原発(1)4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-3.エネルギー政策としての脱原発(1) 中長期的に考えれば、原子力発電から撤退しても、他にさまざまの発電手段があり、電力不足やエネルギー不足をきたすことはない。 原子力発電は日本の一次エネルギーの1割程度、電力の3割程度を占めるにとどまっており、その脱落分を他の一次エネルギーや、他の発電手段による電力で埋め合わせることは容易である。 しかし即時脱原発は経済的損失が大きい。日本国内のほぼ全ての発電用原子炉が2012年春までに停止した。それによって生ずる不足分について、火力発電(ガス、石油)の焚増しによる巨額の追加コストが発生している。2012年には約3兆円であったが、2013年は急激な円安などにより、それを大幅に上回ることが確実である)。 もちろん原発が再稼働できない状態や、それを恒久化する全原発即時廃止によって、毎年3~4兆円もの損失が長期にわたり発生し続けるという主張は根本的に間違っている。 24
4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-4.エネルギー政策としての脱原発(2)4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-4.エネルギー政策としての脱原発(2) かりに日本で原発再稼働がそれなりに進んだとしても、地域住民の反対や安全上の難点などにより、二度と復活できない原発は少なくない。それをベースラインから差し引く必要がある。 原発停止による核燃料サイクルコストの節約分(1基あたり年100億円程度)を差し引く必要もある。 原発の再稼働のための安全対策強化の費用負担も巨額にのぼる。 加えて省エネルギー、再生可能エネルギー、エネルギー消費の自然減などにより、火力発電焚増しの必要量が年々着実に下がる。 日本では新興国や開発途上国とは異なり、少子高齢化と脱工業化が今後も着実に進行し、それにともないエネルギー需要も右肩下がりに減っていくことは明らかであり、脱原発分は自然減だけでカバーできる可能性が高い。エネルギー価格高騰のもたらす節約効果、技術進歩による効率向上、再生可能エネルギーの普及拡大なども加味すれば鬼に金棒である。 25
4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-5.日米原子力同盟(1)4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-5.日米原子力同盟(1) 軍事利用と民事利用の両面にまたがる「日米原子力同盟」が、日本の脱原発政策の最大の障害物である。(他の障害物として、全ての主要政党が脱原発に消極的であるという国内政治の構造や、地方にも深く根をはった利権構造がある。ドイツの脱原発が実現できそうなのは、この3つの障害物が無力化していたからである。) それは2本の柱からなる(原子力発電、機微核技術)。 日米原子力同盟の原子力発電面における特徴は、日米の原子力メーカーが密接な相互依存関係を結んでおり、製造面ではアメリカのメーカーは日本メーカーに強く依存しているということである。 もし日本で脱原発シナリオが進行すれば、日本メーカーは原子力から撤退するかも知れない。しかしアメリカのメーカーは単独では原子炉を製造する能力を失っているので、日本の撤退は重大な打撃となる。言い方を変えれば日本における脱原発はドミノ倒し的に、アメリカにおける脱原発へと波及する可能性が高い。 26
4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-6.日米原子力同盟(2)4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-6.日米原子力同盟(2) アメリカ連邦政府が原子力発電の輸出を国際的なバーゲニングパワー(外交カード)として、また利害関係者への便宜供与のために積極的に活用しようとするならば、日本の脱原発に対して反対するだろう。またアメリカ国内に原発を建設するに際しても、日本メーカーのサポートが不可欠である。つまりアメリカの外圧が日本の脱原発の障害となるのである。これが日米原子力同盟の一本の支柱である。 いっぽう日米原子力同盟の機微核技術面面における特徴は、日本がアメリカの核兵器政策に対して、全面的に協力するとともに、自前の核武装を差し控えてきたということである。その中で日本は核武装のための技術的・産業的な潜在力(ポテンシャル)を発展させてきた。 軍事転用の観点から見た場合、商業用軽水炉は全く役立たないわけでは決してないが、あまり魅力的ではない。しかし核燃料サイクル技術(ウラン濃縮、核燃料再処理、高速増殖炉など)はきわめて魅力的である。 27
4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-7.日米原子力同盟(3)4.脱原子力政策に立ちはだかる日米原子力同盟4-7.日米原子力同盟(3) そうした核武装ポテンシャルを実際に発動して、日本が核兵器保有国となれば、日本が独自の外交政策・安全保障政策を展開する誘因が強まることとなり、日米同盟の不安定化を招きかねない。 アメリカとしては日本独自の核武装を押し止めたい。そのための取引材料として、日本の核武装ポテンシャルの発展を容認することが、アメリカにとって最善の策であった。 もし容認しなければ自主防衛論の火に油を注ぎ、これまた日米同盟の不安定化をもたらす恐れがある。 これら2本の支柱に支えられた日米原子力同盟が、日本の脱原発に立ちはだかる最強の障害になっていると考えられる。脱原発を実現するには、この障害を乗り越えなければならない。 28