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9 ・文化としてのさくら. 2012.11.14. 成蹊・文化人類学 Ⅱ. 中古~近世のさくら. たしかに、江戸時代にも花見はあったし、古今和歌集や源氏物語をはじめとする中古・中世文学の中でも、 さくらは重要なモチーフである 「願わくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」(西行). 江戸期 のさくら ( 1). 江戸時代までのさくらは、いまでいうヤマザクラ・シダレザクラが中心 開花期がソメイヨシノよりもやや遅い 群生するのではなく、寺の境内などに一本だけ植わっている「寺桜」や、実際山中に自生している文字どおりの「山桜」が主
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9・文化としてのさくら 2012.11.14. 成蹊・文化人類学Ⅱ
9・文化としてのさくら 中古~近世のさくら • たしかに、江戸時代にも花見はあったし、古今和歌集や源氏物語をはじめとする中古・中世文学の中でも、さくらは重要なモチーフである • 「願わくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」(西行)
9・文化としてのさくら 江戸期のさくら(1) • 江戸時代までのさくらは、いまでいうヤマザクラ・シダレザクラが中心 • 開花期がソメイヨシノよりもやや遅い • 群生するのではなく、寺の境内などに一本だけ植わっている「寺桜」や、実際山中に自生している文字どおりの「山桜」が主 • 18世紀初頭、徳川吉宗の命により、御殿山(品川)・上野・浅草・隅田川・飛鳥山(王子)などに桜並木が整備される(庶民向け政策の一環) • 「庶民の花見」の成立(ただし品種はヤマザクラ) • 18・19世紀を通じて、江戸時代のさくらは圧倒的に、庶民の物見遊山の対象であった
桜の種別(1)・ソメイヨシノ • 緑の若葉が出る前に、まるで木全体を塗りつぶすように花が開く。花びらは5枚で白に近い淡紅色、花は3-4個集まって付き、直径は4cm前後。エドヒガンとオオシマザクラの雑種と考えられている。明治初年に東京染井村の植木商が広めたことからこの名がある。成長が早く、満開のときや散りぎわが見事なので全国に広がった。 • この花種は、江戸時代までは「存在していない」というのは重要
桜の種別(2)・ヤマザクラ • 日本の代表的な桜で、山地に広く自生する。奈良県の吉野山は昔からヤマザクラの名所として有名。いわゆる里桜(ソメイヨシノ、ヒガンザクラなど)は、花が咲いた後から葉が出るが、山桜(ヤマザクラ、エゾヤマザクラなど)は、葉と花がほとんど同時に開く。ヤマザクラの幼葉は赤みがかってるため遠目には、花が赤っぽいように見える。
桜の種別(3)・シダレザクラ • エドヒガンの園芸品種で枝が長く垂れるものを、シダレザクラ(枝垂れ桜)またはイトザクラ(糸桜)という。エドヒガンは長寿の桜として有名で、山高神代桜(山梨県)や薄墨桜(岐阜県根尾谷)、樽見の大桜(兵庫県)など、天然記念物に指定されている巨木がたくさんある。シダレザクラでは、角館の枝垂れ桜(秋田県)や三春滝桜(福島県)などが有名。
桜の種別(4)・カンヒザクラ • 濃いピンク色の桜。散り際になると更に濃さを増す。釣鐘型の形でソメイヨシノのように広がることもなく、散り様も椿のように花ごと落ちる。カンヒザクラは沖縄が有名だが、色も白から紅紫色まで、花の形も広がるなど、様々なものがある。沖縄では1月、関東でも3月近くになると次々と咲き始め、ソメイヨシノが咲く頃には終わっている。
9・文化としてのさくら 江戸期のさくら(2) • そうした「庶民のさくら」の一方で、「中国に比べて」日本独自のものとしての、また「武士」と結びついたさくらのイメージの形成が始まる • 「日本の桜と云物は、中華に無之」「中世以来、桜を花と云」(貝原益軒『大和本草』1709年) • 「花は桜木、人は武士」(『仮名手本忠臣蔵』1748年) • 「もろこしの人に見せばや三吉野のよしのゝやまの山ざくらばな」(賀茂真淵(国学者)1697~1769年) • 「しきしまの大和心を人とはば朝日ににほふ山桜ばな」(本居宣長(国学者)1730~1801年)
9・文化としてのさくら 近代のさくら(1) • 明治初年、一気に咲いてぱっと散るソメイヨシノの登場は、日本の春のイメージをがらりと変えることとなる • 近代化に伴う土木工事(学校・公園・道路・堤防)の際に、さくら(ソメイヨシノ)の植栽がすすめられる • さらに、軍隊を通じて、ソメイヨシノは国花 national flowerとしての地位を占めていくこととなる • 軍隊の帽子・軍馬の鞍に用いられる桜の徽章 • 1895年の日清戦争祝勝・1905年の日露戦争の祝勝を期に全国に広まる紀念植樹 • 弘前城(1900年) 皇太子=大正天皇の成婚紀念 • 盛岡・高松公園(1906年) 日露戦争戦勝紀念 • 上越・高田公園(1909年) 陸軍第十三師団入場紀念 • 長浜・豊公園(1914年) 大正天皇御大典事業 • 久留米・浅井一本桜(1929年) 昭和天皇御大典事業 • 各地の学校における、紀元二千六百年紀念植樹(1940年) など
9・文化としてのさくら 近代のさくら(2) • 「さくら=日本」のイメージを、国民のあいだに広く行き渡らせたのは、学校教科書というメディアであった • 1886年 小学校の義務教育(尋常科4年)がスタートする……就学率は当時50%程度(通学率は30%台) • 1900年 市町村に小学校の設置義務が課せられる(尋常小学校4年=義務+高等小学校2年) • 1904年 国定教科書制度が導入される……就学率は当時90%程度(通学率は70%台) • 1907年 小学校の義務教育が6年に延長される(尋常小学校) • 義務教育下の国定教科書におけるさくらの記述をみてみることにしよう
国定教科書第2期(1910-17年)尋常小学読本・巻三国定教科書第2期(1910-17年)尋常小学読本・巻三
国定教科書第3期(1918-32年)尋常小学読本・巻一国定教科書第3期(1918-32年)尋常小学読本・巻一
国定教科書第4期(1933-40年)尋常小学読本・巻一①国定教科書第4期(1933-40年)尋常小学読本・巻一①
国定教科書第4期(1933-40年)尋常小学読本・巻一②国定教科書第4期(1933-40年)尋常小学読本・巻一②
9・文化としてのさくら 戦後のさくら • ナショナリズム~軍国主義ときわめて強く結びついたさくらは、戦後の一定期間、日本・日本人・日本文化との結びつきが避けられる傾向にあった • こうした傾向が変化するのが、1964年の東京オリンピック・1968年の明治百年記念事業・1970年の大阪万博である • 各地のさくらの開花予想をマッピングした「桜前線」は1965年から全国的に発表され、メディアに取り上げられるようになる
東京オリンピック1964年・大阪万博1970年シンボルマーク東京オリンピック1964年・大阪万博1970年シンボルマーク
9・文化としてのさくら さくらをめぐる2つのベクトル • 桜をめぐる2つのベクトル • 桜は、確かに「昔から」庶民の娯楽としての要素は持っていた(=「なにげない」文化)が、一方で、そこにはさまざまな変化の要素が働いてきたことも確か • 特に近代=明治に入ってからは、意図的な力が働くようになった……「意識される文化」としての「日本のさくら」
9・文化としてのさくら 「日本文化」として選ばれた「さくら」 • 映像資料「桜紀行」前半より、「さくら」は以前からひとびとに親しまれてきたけれども、特に明治以降のナショナリズム形成期に、歌舞伎や相撲などとともに日本文化を体現するものとして「選び出された」ことがわかった • それ以前(=前近代)においても、地域ごとに(=local)それぞれに「種蒔き桜」を愛でては来たが、それが「日本の」もの(=national)になるのは「近代」 • 「近代」において戦勝記念や皇太子即位記念などの国家的行事の際にそれを祝うために植えられ、それが現在も残る各地のさくらの名所を創り上げていった
9・文化としてのさくら 「選び出す」という行為 • さくらが日本文化の要素として選び出された、ということは何を意味するのだろうか? • さくらと日本(日本人)の結びつきは「嘘だ」「でたらめだ」ということではない……cf. 種蒔き桜・春山入り • かといって逆に「それは日本人のDNAに刻まれている」「いにしえより日本人の心である」というような見方も正しくない • それは「つくりごと」だ(あるいは「やらせ」だ)というのが一番近い • やらせにしろつくりごとにしろ、ゼロから捏造するでたらめでは説得力を持たない • ある程度の「本当」「事実」の上に、さらに意図的に築き上げられたものである • ということは、そうしたものを「築き上げる」プロセスを、歴史をたどると発見することができる(大概は近代の産物である)
9・文化としてのさくら なぜさくらが選ばれたのか? • 農耕作業的には、 • (1)一定の時期に咲くこと、(2)むらの誰もが気づくような大きな木になること、(3)ことさらに悪印象を与える要素(臭いとか、汚いとか、かぶれるとか)がないこと • 江戸庶民の娯楽としては、 • 上の(1)(3)に加え、(4)並木など広く群生させて植えるのに適していること、(5)さまざまな樹種のバリエーションがあって楽しめること • 江戸~近代のナショナリズムにとっては、 • (6)中国を初めとする他国にはあまり見られないこと、(7)既に庶民・国民に広く親しまれていて利用しやすかったこと、(8)潔さ・はかなさのイメージを利用しやすかったこと
9・文化としてのさくら さくらの意味の多様性 • このような多様な意味合いを込められたさくらを、単純に「日本の伝統ですばらしい」「日本人であるからこそそのよさがわかる/日本人にしかそのよさはわからない」「ずっと変わりなく日本人が愛してきた」と考えるのは適切ではない • わたしたちがさくらを好むのは、もはや「自然なこと」ではない • 過去の強制的な刷り込みによって植えつけられた影響を、抜き去ることはできなくなっている • cf. 親・先輩を「自然に」敬うことと、それを一度でも「強制」されて以降の複雑な感情とは、同じではない