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ICORD2012 タウンミーティング(2012.2.6). 東日本大震災への対応 -「つながる」ことの大切さー. JPA事務局長 水谷幸司. はじめに. 私たちJPAの被災地 訪問の画像を紹介 あの日から 50 日経っても、なお …. JPA 東日本大震災被災地(東北3県および茨城県) 状況調査と激励訪問( 2011 年 4 月 28 日~ 5 月 4 日). ・ 4 月 28 日(木) 札幌出発~函館 ・ 4 月 29 日(金・祝) 函館~(フェリー)~青森~盛岡 岩手県難病連・難病相談支援センター訪問・ 懇談
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ICORD2012 タウンミーティング(2012.2.6)ICORD2012 タウンミーティング(2012.2.6) 東日本大震災への対応-「つながる」ことの大切さー JPA事務局長 水谷幸司
はじめに • 私たちJPAの被災地訪問の画像を紹介 あの日から50日経っても、なお…
JPA 東日本大震災被災地(東北3県および茨城県)JPA 東日本大震災被災地(東北3県および茨城県) 状況調査と激励訪問(2011年4月28日~5月4日) ・4月28日(木) 札幌出発~函館 ・4月29日(金・祝) 函館~(フェリー)~青森~盛岡 岩手県難病連・難病相談支援センター訪問・懇談 ・4月30日(土) 宮古~石巻~仙台 岩手県難病連代表理事の千葉さん、同副代表理事の矢羽々さんの先導で、三陸海岸沿岸部を視察。大槌で別れて、釜石、陸前高田市を通り、石巻へ。 NPOホップ石巻被災障害者支援拠点(レラ)訪問。石巻から仙台市内に。 ・5月1日(日) 仙台~福島 (社福)ありのまま舎訪問~被災した宮城県難病連事務局長宅(亘理)訪問し面談 (独)国立病院機構 宮城病院ALSケアセンター訪問 神経内科・今井先生、MSW椿井さんと懇談 福島県難病連訪問・懇談(福島市内) ・5月2日(月) 福島~筑波~水戸 福島県難病相談支援センター訪問(福島市内) 茨城県難病相談支援センター訪問(筑波大学病院内) 茨城県難病連訪問・懇談(水戸市内) ・5月3日(火・祝) 水戸~秋田 ・5月4日(水・祝) 秋田~(フェリー)~苫小牧~札幌
4月29日(金) 岩手県難病連・相談支援センター訪問
津波によって 防波堤が破壊
5月1日(日) (社福)ありのまま舎訪問
宮城県を移動中の様子 屋根の瓦が落ちている 津波で多くの車が流さていた
4階の窓から津波が 押し寄せる様子が 見えたという
途中の漁港付近 走っていると道路のそばに漁船が・・
漁船は道路に 車や家は海の中に
センターが使っていた 東庁舎は危険のため 西庁舎に転居
ほとんどの資料の スチールラックが 倒れた ようやくここまで復旧 したという
水戸駅前の 歩道橋の橋脚に段差 波打つ歩道
水戸駅前の歩道橋も通行不可 地震ニュースで何回もみた 開基100年記念モニュメント
あの日… • 2011年3月11日(金)14時46分、みなさんはどこにいましたか? • 伊藤代表と私は翌日からの全国難病センター研究大会(岐阜)準備のため移動中。名古屋でも大きく揺れてただ事でないと感じた。夕方に岐阜の難病連事務所で対策会議を開きテレビの映像で事態の深刻さを実感した。 • 翌12日朝、大会予定の会場で対策会議。大会は中止とし、来ている人で半日意見交換を行う。私は新幹線でただちに東京に戻った。 • 事務所でまず地元難病連の安否確認をと連絡するが、連絡とれず。被災地以外の難病連からは「何をしたらよいか」との電話が入る。 • 患者団体は、直後からそれぞれの組織で、被災地の会員の消息確認の努力を行っていた。
患者会のとりくみ • 消息・安否確認、必要なニーズの把握 被災地の構成員への連絡、励まし ↓ ニーズの把握、得られた情報の共有 ↓ 会報、ニュース(メール、FAX)→具体的支援 • 行政や企業などへのはたらきかけ (社会保障制度、薬、医療体制等々)
JPAではじめに行ったこと • 情報を届けること=みんなの心をつなぐこと 被災地も含めた難病連、患者会、役員等にメール、FAXで。 • 第1報は、12日の朝、岐阜から、加盟団体、役員宛にセンター研究会中止の連絡を流す。加盟団体には構成員の安否確認と励ましの活動を提起した。 • 全腎協は透析患者の安否と情報収集・提供の体制を泊まり込みで。東京に事務所のある患者団体も多くは事務局に泊まることに。 • 厚生労働省は当日付で都道府県担当宛に、保険証なしでも受診できる旨の通知を出した。以降、次々に事務連絡などを発信。 • 12日の夕方、福島県難病連の役員より会長、事務局長はとりあえず無事との連絡が入る。さっそく緊急地震情報として全国にメールを送る。(情報の共有と各団体の取り組みの交流をよびかけた) 加盟組織以外にも。 • 何もできない苛立ち=あせった対応や、自分を責める役員も出始めたことから、各団体や役員に、冷静に落ち着いた対応を提起した。 • 障害者団体からも同様のメール情報が入り、互いに共有しあい、それぞれから発信することにする。 • 5月の連休明けまで、緊急情報は約2ヶ月間で100通をはるかに越えるメールを発信。「情報の洪水」とも言われたが…生かされることを信じて発信を続けた。後日、加工・拡散して役にたてていることを知り励まされた。
流した情報の種類 • 被災地の役員の消息、安否確認の情報 • 行政や国会の情報 厚労省や議員(秘書)からの情報を、速やかに拡散する 被災地の患者・避難者に向けた情報 被災地以外の地域への情報 • 各地のニュース(病院、医療など) • 団体(患者会)の取り組みを紹介。患者会で流したものを共有。
つかめなかったこと • 被災地沿岸部の患者の被害状況、患者の消息、 安否情報がつかめない 「難病や慢性疾患の患者はどこにいるの?」 「患者に直接、届けたい」「必要なものは何?」 • 薬(とくに希少疾患専門薬)の情報がない 薬不足…募る不安は、被災地以外の患者にも拡がる。 被災地域外の患者から被災地患者への「薬のリレー」 という緊急な行動を行う団体もあった。 (緊急事態では人道的で臨機応変な対応も必要) • 専門医療機関の情報 疾患別患者会でも対応、学会ごとにも対応されたが、 ネットワークが不十分だった。
まとめ…今後に生かすこと(情報の問題に限って)まとめ…今後に生かすこと(情報の問題に限って) • 被災地の患者、家族につながるために 日頃からの理解とつながりが大切。 「避難所に難病や慢性疾患患者はいない」 患者会がとても頼りになった(行政よりも!) • 専門医、かかりつけ医との日常的なつながり、地域の社会間の様々なネットワークをつくる。 • 大災害を想定した薬(とくに希少疾患薬)の供給体制(地域に分散させるなど)について 情報の流し方も含めて検証を。