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対象関係論. 対象関係という考え方. 対象関係という言葉が最初に使われたのは、フロイト 『 ナルシシズムへの導入 』 ( 1914 )という論文のなかだった t 。 そこ で彼は自己愛に向かう筋と対象愛に向かう筋の方向を明確に分けた。そして対象に向かうリビドーの流れが転移を生み出すと考えていた。. 超自我の形成 自我とエス ( 1923 ). 初期の両親との同一化→後のエディプス・コンプレックスの解消における同一化 二段階の取り入れから同一化 introjections → identification. エディプス・コンプレックスとの整合性.
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対象関係という考え方 • 対象関係という言葉が最初に使われたのは、フロイト『ナルシシズムへの導入』(1914)という論文のなかだったt。 • そこで彼は自己愛に向かう筋と対象愛に向かう筋の方向を明確に分けた。そして対象に向かうリビドーの流れが転移を生み出すと考えていた。
超自我の形成自我とエス(1923) • 初期の両親との同一化→後のエディプス・コンプレックスの解消における同一化 二段階の取り入れから同一化 introjections →identification
エディプス・コンプレックスとの整合性 • 父親との同一化なのか、母親の取り入れなのか、失われた愛の対象の問題 エディプス=母親の喪失? 喪失
エディプスと対象喪失 • 両親とも子どもにとって愛情対象である • いずれにしろ、去勢不安があり、エディプスを放棄する • 失われた愛情対象のイメージを取り入れる 「制止、症状、不安」(1926) →ギル「解釈学的転回」 不安の新しい理論 • 不安は情緒危険信号 • 不安は去勢からくる喪失の反応
超自我とは何だろうか • 厳しい側面をもつのはなぜだろうか 道徳や親の態度の内面化 死の本能の残渣 • 懲罰的な側面か内在化された道徳心か • 理想的な自我の姿を映し出すもの 自己愛との関連はあるのだろうか? 最初の他者の在り方と関連している?
超自我Above-I 一般的な理解 I above -I IT
死の本能の運命 • 反復強迫の原理 ニルヴェーナ原則⇔快感原則 『快感原則の彼岸』 (矢部八重吉の提案→ニルヴェーナ) 死の本能の解釈 ・ゼロに向かう ・マイナスに向かう 破壊か崩壊か
超自我の治療モデル • Strachey(1934)の「治療行為の本質」 →mutative interpretation 厳しい超自我 治療者
早期対象関係の視点 1923-28年のM.Kleinの議論から始まる 結合両親像の取り入れ(摂取) ↓ 例: 両親が寝ている間に母親に捨てられて死の恐怖-他者を完全に所有するために一方の親と敵対する(再合体をふせぐ=道をふさぐライオス)-死の不安 The Oedipus Complex Today(1989) R.Britton et al ed.
シュレーバーは 自分の世界に耽溺する • 妄想や自分が神だと思うプロセス • 彼は私を愛する/私は彼を愛する • 私は彼を愛さない⇒彼を憎む:彼が私を迫害するからだ(被害妄想) • 私は彼を愛する⇒私は女だからだ(女性化) • 私は私ではない⇒彼は私を、私は彼を愛さない⇒そもそも私は誰も愛さない(卑小化) • 私は私だけを愛する(誇大化)
性心理発達 口唇期 肛門期 男根期とエディプス期 児童期(潜伏期)に向けての統合 学習と文化へ
アブラハム(1877年5月~1925年12月25日) ブルクヘルツリ病院でユングと、そして1907年にフロイトと出会う。ベルリンでグループを形成して、クラインの分析者としても有名である。うつ病の研究は、フロイトの『喪とメランコリー』に影響を与えた。口唇期前期(統合失調症)、口唇期後期(うつ病)、肛門期前期(強迫神経症)といった精神病理学的な理解をもたらした。
精神病の対象関係は? • どのような対象との関係を、精神病者はもつのだろうか?それは対象ではないのか? • うつ病(自己愛精神神経症)はどのような対象関係をもつのだろうか?それは合体と自己への反転だけだとして、どのように対象が見えるのだろうか> メラニー・クラインに残された課題
32歳時、次男エーリッヒを出産、母親リブッサ死去。ハンガリーで分析家フェレンチィを尋ねる、精神分析を受ける。32歳時、次男エーリッヒを出産、母親リブッサ死去。ハンガリーで分析家フェレンチィを尋ねる、精神分析を受ける。 • 36歳、国際精神分析会議でフロイトの発表を聞く。 • 37歳「誕生における家族ロマンス」を提出。 • 38歳、アブラハムに出会い、39歳、夫のスウェーデン移住を契機にベルリンに移住。メリッタはベルリン大学に入学。 • 41歳、ベルリン精神分析研究所の会員 • 42歳(1924) アブラハムとの教育分析開始。メリッタがシュミドバーグと結婚。 • 43歳、アブラハムの死。妻子あるジャーナリストとの交際、児童分析のセミナーをロンドンで開く。
ロンドンへの移住によるクラインの発展 • 44歳(1926)、夫と正式に離婚。恋人との破局。ロンドンに招聘移住。アンナ・フロイトによる早期分析批判 • おもちゃ=対象 アブラハムの指摘した対象関係 早期の不安を解釈すること ロンドンのブルームズベリー・グループ
フロイト-クライン論争 E.Sharpらのロンドン クラインとアンナの亀裂 1938年のフロイト家亡命という問題 論争の激化と収束 クライン学派の形成 1940年代の淑女協定までの間の感情的論争(母と娘の闘争) →独立学派の登場
論点 Ⅰ.当初の主な論点 1)児童分析における導入期の必要性 A.フロイト(以下A)=児童は自発的な決心で治療に訪れないし、病気に対して洞察を持たず、治療への意志を持たない。患者の気分に適応して、分析者を興味ある人物と思わせて、患者にその有用性を伝え、現実的な利益を確認させる「導入期」の必要性 M.クライン(以下M)=その必要性はない。子どもの治療は原理的に大人と一緒である。 2)児童分析における家族の参加 A=情報の収集や状態を把握するために、そして教育的な面でも有用 M=家族の葛藤を巻き込むためにマイナス
3)児童の感情転移 A=児童分析では治療者は鏡というよりも、積極的に働きかけていることが多い。しかも子どもは起源的な対象関係の神経症的な関係を発展させている途上にあるのであって、まだそれは実際の両親との間で現在進行中で、古い版になっていない。そのため感情転移は起こりにくい。 M=3才までに対象関係の原型は作られているので、それ以後においてはすべて起源の神経症を大人の神経症と同様に形成している。感情転移、特に陰性の感情転移こそ治療において重要である。 4)エディプス・コンプレックス A=3-6才の間に形成される。超自我はエディプス葛藤の解決によって形成される(攻撃者との同一化) M=早期エディプスコンプレックスの形成。3才までに完成している。これ以後の子どもは処罰不安を持っている理由はそのためである
5)児童分析での教育 A=教育的要素の必要性。児童は現在も自分のモデルを取り入れ中で、治療者が教育的な視点から「自我理想」であることが重要。 M=分析と教育は違う。早期から形成されている罪悪感や対象関係を深く扱うのが精神分析である。 6)死の本能 A=死の本能よりも自我と精神装置を重視 M=死の本能を理論の根幹に据える 7)解釈 A=自我から本能へ。防衛の解釈からイド解釈へ M=超自我を緩めるための深層解釈。象徴解釈を多用する。
論争 1941年から45年 感情的な 対立から 激化した論争 Schmidebergメリッタ、1924 E.Glover
Winnicottら中間学派の形成 アンナの発想のなかにあった環境論:教育論を引き継ぎ、クラインの内的幻想の技法を生かそうとしているという点で、中間的である。 M.Balintらの治療的退行論
クラインの早期解釈 • 陰性転移を取り扱う アンナの準備期とはまったく反対に、早期の解剖学的な解釈が陰性感情を取り扱う道であると考えた。 (今日クライン学派ですら争点となっている技法)
転移の新しい理解 • 転移は過去の反復ではなく、今ここでの実演である。 • 逆転移は患者からの投影を引き受ける Heimannとの離別(1950) →技法論 1.過程である。解釈への反応を良く見る 2.転移を解釈することの中心性 3.乳児水準の機能にしっかりと根ざす 4.破壊性という全面的に広がる恐ろしいものは、愛情ある人物とバランスをとって焦点を当てる。 Paula Heimann
クライン派の技法的発想 1.解釈は食物=良い授乳で、治療者は良い乳房である。 2.治療者は投影を引き受ける悪い乳房でもある。
ウィニコットのクラインへの見解 • 乳幼児性の重要な貢献を認める • メラニー・クラインの解剖語には賛同できない(もちろんポストクライン学派もこれには賛同していない) • 早期不安の解釈は、ある意味では正しいが解釈はそれ以外のものでもある→後述 • 母子交流の言葉は母国語であり、専門用語ではありえない(フロイトを読まないウィニコット:精神分析家として)
防衛としての万能感(クライン) • ポジションの達成に対して退行が起きるのは、分離、あるいは対象への依存や羨望が痛みを伴うからである。 否認、分裂、投影同一化、万能的自己愛 →ローゼンフェルドの病的自己愛論、 スタイナーの心的退避論
さまざまな分析 • 1934年 シルビア・ペイン(9ヶ月) ジョン・リックマン(-1941) • 1935年 ポウラ・ハイマン(1940) ウィニコットへのSV(1940) ウィニコットが次男エーリッヒの分析を行う(1939) 論争時にスィーガルをはじめ、訓練分析を受けている。 →クライン派の形成 • 1945年 ウィルフレッド・ビオン(1953) • sv クリフォード・スコット、ローゼンフェルドほか
クラインによる1934(1935)年に発表された論文クラインによる1934(1935)年に発表された論文 • 抑うつポジション • 抑うつ不安 • 内的対象internal object • 57歳(1939)戦争のためケンブリッジに転居、夫アーサー、スイスで死去 • 58歳、姉エミリー、ロンドンで死去。スコットランドに疎開。 • 59歳、症例リチャードを治療。 • 1941年 アンナ・フロイト-クライン論争がはじまる
症例リチャード 4、5歳から興味と能力の抑制、心気症的、抑うつ傾向が強まる。他の子たちを怖がり、外出できなくなった。8歳以降不登校。 1941年4月28日から8月23日までの期間。週六回(時に七回)のペースで行われた、全93セッションの事例である。当初、きわめて前性器的な表現から、クラインの原光景や早期不安の分析を通じて、次第に統合されていく姿が描かれている。
投影と摂取(取り入れ) • 症例リチャードによる良い対象の取り入れ • 抑うつの痛みを耐えるためのメカニズム
クラインによる1934(1935)年に発表された論文クラインによる1934(1935)年に発表された論文 • 抑うつポジション • 抑うつ不安 • 内的対象internal object • 57歳(1939)戦争のためケンブリッジに転居、夫アーサー、スイスで死去 • 58歳、姉エミリー、ロンドンで死去。スコットランドに疎開。 • 59歳、症例リチャードを治療。 • 1941年 アンナ・フロイト-クライン論争がはじまる
投影と摂取(取り入れ) • 症例リチャードによる良い対象の取り入れ • 抑うつの痛みを耐えるための メカニズム メリッタ、1924
クラインの発展1:抑うつポジション • 46歳 「エディプス葛藤の早期段階」 • 50歳(1932)『児童の精神分析』を発表 • 51歳、メリッタとグラウバーとの対立 • 52歳、長男ハンス、タトラ山登山中に転落死 • 「躁鬱状態の心因論に関する寄与」 →抑うつポジションの発見 早期のエディプス・コンプレックス
精神病状況の理解 • 精神病を治療する精神科医たちがクラインからスーパーヴィジョンとワークショップでの議論をする。 クリフォード・スコット ウィルフレッド・ビオン ハーバート・ローゼンフェルド ジョン・リックマンら →相互に関連性がないが、共通して精神病的な世界をクライン理論によって解明できると信じる
リックマン、J1891-1951 1981年4月10日、クェーカー教徒の家に生まれる。 医師になると、第一次世界大戦が勃発。従軍を薦められるが、クェーカー教徒として拒否、ロシアに避難する。ロシア革命のなかアメリカに逃げ、英国に帰国する。 フロイトに連絡を取りウィーンへ(1920年)フロイトの薦めで、学会員になる。 1924年ジョーンズの英国精神分析協会設立を手伝う。クリニック解説に資力。1926年に医学博士。 1928年ブタペストのフェレンチィに分析を受けに行く。 1930年帰国。1934年医学部門の主任になる。 フロイト-クライン論争のなか、英国と米国の分離のときに指導的な役割を担う。
一者心理学、二者心理学、三者心理学、 John Rickman
ローゼンフェルド、H1910-1986 1910年7月2日 ニュールンベルグでユダヤ人の中流家庭に生まれる。 1934年 ミュンヘン大学の医学部、卒業。1935年にはロンドンへ。ジレスピのセミナーに参加する。 1937-42年 タヴィストック・クリニックで精神療法の訓練 1942- クラインから分析を受ける 1945年 イギリス精神分析協会会員 1947年 訓練分析家 1947年「離人症を伴った精神分裂病状態の精神分析」 1965年『精神病状態』 1964年「生と死の本能の精神分析理論の臨床的一考察」 自己愛、投影同一視、早期の外相などの理論化 1987年『治療の行き詰まりと解釈』
1.混乱状態(confusional states) 2.破壊的自己愛組織 H.Rosenfeld
精神病における対象関係 スコットやローゼンフェルドの仕事から • 悪い乳房 • 自我の分裂 スプリッティング • 投影同一視 • 自己愛 →妄想ー分裂ポジションへ 部分対象の世界
ビオン、W・R 1897-1979 • 1897年9月8日 生まれ。8歳までインドで過ごす。3歳下に妹、8歳で英国本土パブリック・スクールに入学。 • 戦車部隊に入隊し、英国戦車部隊がはじめて作戦を展開したCambaraiの戦いに参戦する。王ジョージ5世からDistinguished Service Order の名誉を与えられる。その後西部戦線の多くの戦いに参加し、多くの名誉に輝いた。 • 1919年一月から Oxford のQueen College に通う。そこで彼は歴史学(近代)を学ぶ。そこで哲学の教師H.J.Patonに会い、カント哲学などを学ぶ。Bishop Stortford Collegeに戻り、歴史とフランス語を教える。当時ラグビーの選手として名をはせ、水泳チームのコーチであった。ただ性的誘惑を疑われ退職。
精神分析に興味を持ち始め、1923年Londonの University College Hospitalで医学の勉強をはじめ、1929年に資格所得。 そこで外科の医者でグループ心理学に興味を持っていたWilfred Trotter(“Instincts of the Herd in Peace and War” の著者)に会い影響を受ける。 空軍での医官を少し勤め、その後1932年ロンドンで精神科を。
36-51歳(1933-)タビストック・クリニックに勤務(45-6年には所長)。1934-35年 サミュエル・ベケットの治療を行う。1937-39年にジョンリック・リックマンの分析を受ける。第二次世界大戦によって中断。1940年から45年まで医官になり、Northfield Military Hospitalの訓練病棟の主任になる。そこでグループの体験をし、グループについての独自の理論を展開し始める。戦後にタヴィストック に戻り、医学委員会Executive Committee の議長を勤める 43歳(1940) ベティ・ジャーデンと結婚。三年後、1943年に最初の子供、長女Parthenopeが生まれた直後、その最初の妻Betty が死亡する。当時J.Rickmanとの分析を終え、その紹介で.Klein に二度目の分析を受け始めるところであった。
グループ心性 陸軍病院で、リハビリにはグループが必要と考え、何百人もの人を組織管理するグループ治療を始める。 →構成員の心理とか理性とは関係なく、グループメンバーの理性が阻害されるという事態が起こった。 → グループを入れる容器であるグループ心性group mentality 一つの課題に向かっていく方向--- 後に仕事(作働)グループwork group + 共同cooperation 基底的想定basic assumption--- “protomental"あるいは原子価valency 1)依存基底的想定baD-ある人に絶対的期待や依存をする 2)闘争-逃走基底的想定baF-攻撃すべき敵と闘う、逃げる 3)つがい基底的想定baP---将来起こることの期待、希望 →グループ体験によってクラインの理論を理解する。
48-56歳 メラニー・クラインから分析を受ける。自ら終結。途中51歳 英国精神分析協会精神分析家資格所得、個人開業をする。48-56歳 メラニー・クラインから分析を受ける。自ら終結。途中51歳 英国精神分析協会精神分析家資格所得、個人開業をする。 54歳(1951)、数年後Tavistockの人間関係研究所Institute of Human Relationsで会った女性Francescaと結婚し、その後二人の子供をもうける。今その子供のうち、Julianは医者であり、Nicholaは言語学者である。 59-65歳(1956-62) London精神分析クリニックのDirectorを勤め、1962年から65年まで英国精神分析学会の会長であった。68歳から70歳、協会訓練委員会委員、出版委員会会長、クライントラスト委員長
精神病研究(1) 出発点 “Imaginary Twin"(1950) は、想像上の双子に迫害的不安に悩む患者についての分析。その双子は早期における乳房の観念からくるものである。 “Note on the theory of the schizophrenic"(1954) 言葉としての記号を獲得するには、 1)全体対象を把握する能力、 2)splitting が付帯する妄想-分裂ポジションを放棄すること、 3)splitsをまとめあげ抑うつポジションの水先案内をすること
精神病研究(2) splitting とContain “Language and the schizophrenic"(1955) “Development of schizophrenic thought"(1956) 分裂病は1)環境、2)人格の間の相互作用から生じる。転移には独特の特徴がある。投影同一化projective identification と衝動の噴出である。 患者は1)生の本能と死の本能の間に未決定の葛藤、2)破壊衝動の優勢、3)外的そして内的な現実への憎しみ、4)希薄なそれでいて執拗な関係性、を示す。 “contain”という言葉の使用。 前概念とその実現:Kleinの発展
精神病研究(3)人格の精神病的要素から思考理論へ精神病研究(3)人格の精神病的要素から思考理論へ “Differentiation "(1957) 精神病的人格----- 投影同一化が主 非精神病的人格----抑圧が主 人格の精神病的部分を想定する。「奇妙な対象bizzare object」 “On Arrogance" “On Hallucination"(1958) “Attack on Linking"(1960) 精神病についての統一的な理解とそれによる独自の「考えること」の理論へ。
精神病研究から思考の理論 1) 部分対象の考えを心の機能functionに広げる 2) 思考と感情の能力を破壊する時、攻撃されるものとしての(感覚と意識)結合することlinking を抽出したこと 3) 知覚を通じて係わる本能の働きに基づいて、「思い上がり」を含めた概念としてのエディプスコンプレックスを拡張 4) 「学ぶこと」を生むような結合の原型として、乳児-乳房の結合を定義 5) 「過度の」投影同一化というクラインの考えの特徴とその性質は明示的なものに