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11 ・名前をつけてくくる. 2009.07.07. 青山 ・文化人類学. 初回参照:4つのキーワード. 普遍性 たとえば「人類」であるかぎり、どこかで共通点はあるはずで、なにかしらわかり合える部分はあるだろうし、地球上で暮らすひとびとが持っている文化に違いはあれど、ひとが「文化を持っている」こと自体は普遍的であろう 多様性 とはいえ、個々のひと・文化の特徴はさまざまであろうし、その多様性を留保することは、おそらく大事なことだろう 個別性 普遍性と多様性の両方をつきつめていけば、「個別性」とその尊重というのがひとつの究極点にあるのかもしれない 相対性
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11・名前をつけてくくる 2009.07.07.青山・文化人類学
11・名前をつけてくくる 初回参照:4つのキーワード • 普遍性 • たとえば「人類」であるかぎり、どこかで共通点はあるはずで、なにかしらわかり合える部分はあるだろうし、地球上で暮らすひとびとが持っている文化に違いはあれど、ひとが「文化を持っている」こと自体は普遍的であろう • 多様性 • とはいえ、個々のひと・文化の特徴はさまざまであろうし、その多様性を留保することは、おそらく大事なことだろう • 個別性 • 普遍性と多様性の両方をつきつめていけば、「個別性」とその尊重というのがひとつの究極点にあるのかもしれない • 相対性 • 個別性の尊重について考慮するには、お互いを入れ替え可能とする考えかた=「相対性」についての理解が必要となろう
11・名前をつけてくくる 「個別性」と「くくり」と「ラベル」 • 一人一人がそれぞれの個性を持っている=「わたし」はわたし以外の誰とも同じではない=みんなちがって、みんないい、が「個別性」だとしよう • それは「固有名詞の世界」になるだろう • 複数の人間どうしのなにか共通点をみつけて「くくる」ことは、それとは正反対の行為だということになる • ほんとうは「このクラスに集まっている誰もが個性を持っており、ほかの誰とも同じではない」はずだけれども、同じ青山学院女子短期大学という学校に所属していることで「くくる」ことは、ごくあたりまえの行為だろう • くくられたみんなには「青短生」という「ラベル」が貼られる • 「ラベルを貼られる」ことで「個別性は無視される」ことになる • それは「普通名詞の世界」になるだろう(厳密には「青短生」は固有名詞だけれども)
11・名前をつけてくくる 「在日」と「杉原」 • 「在日」は普通名詞であって、好き嫌いはあるにせよ、誰にとっても「在日」である • 窪塚の演じた「在日」も、ほかのいろんな「在日」も、「在日」はただの「在日」であって、特にこの窪塚の演じた「在日」でなければならない、ということはない • 「杉原」は固有名詞であって、「杉原」に関心を持つひとにとってのみ「杉原」である • ラストシーンでの柴咲の演じる「桜井」にとっては「杉原」は「杉原」であって、ただ「在日」ではないし、ほかにはかけがえのないものである • 「杉原」でしかありえない、その人物に関するさまざまな「情報」を「桜井」は持っていて、それこそが重要である:個別性
11・名前をつけてくくる 名前をつけてくくる(1) • 人間が本質的・普遍的に持っている「言語を使い『名前をつけてくくる』能力」がもたらすのが「ラベル貼り」 • もしその能力がなければ、それはそれで困ることになる • 「ラベル貼り」は、常に個性の無視を伴う • 「在日」のひとびとは、当然ながら、みな同じではない • けれども、なんとなく「自分たち日本人とよく似ているが違っている・得体のしれない・なんだかこわい」ひとびとの集団がそこからイメージされる • 「ラベル」は誰が貼るのか/はがすのか • それが「言語」という社会/文化の共有物である以上、ラベルを貼る主体は「社会/文化」ないし「わたしたち」というとらえどころのないものになる • しかし、わたしたちひとりひとりは決して無関係ではない
11・名前をつけてくくる 名前をつけてくくる(2) • 生活の便宜上、ある程度ラベル貼りは避けられないが、同じラベルが貼られているひとびとの間には、実は様々な個性の差があるのだ、ということはいくら気にしても気にしすぎることはない • ステレオタイプ的なラベル貼りによって行なわれる「差別」「ことばの暴力」の危険性も、いくら気にしてもしすぎることはない • ラベルを貼ってひとくくりにすることは、ひとをモノ扱いすることに近い • 「杉原」でしかありえないそのひと、という唯一無二の存在ではなく、「在日」としていっしょくたにするのは、「モノ扱い」といっても過言ではない • 「モノ扱い」だからこそ「いけないこと」なのであって、「差別だから」いけないのとは少し違う
11・名前をつけてくくる くくりかた(1) • 「平均値」 • ある要素(複数でもいけないことはないが、ややこしい)に着目してなんらかの数値化(擬似的にでも)を行ない、その平均値をとる、という考え方 • ばらつきが極端な場合、平均化することで意味を失なう可能性もある
11・名前をつけてくくる くくりかた(2) • 「最頻値」 • ある要素(複数でもいけないことはないが、ややこしい)に着目して「大多数こんなもんだろう」、という考え方 • ごく少数のマイノリティは特に見落とされる危険性がある
11・名前をつけてくくる くくりかた(3) • 「最大公約数」 • 全体に共通する要素(ごく一部分)を抽出して特徴とする。いわゆる「近代 modern」における「国民化 nationalization」の過程で形作られていく同質性はこれ • 時には、まったく共通要素を持たなかったひとびとにまで、それがかぶせられることがある
11・名前をつけてくくる 「近代」と「国民国家」 多様・雑多 均質化・画一化 =「くくり」 多様化 & さらなる画一化
11・名前をつけてくくる 4つめのキーワード:個別性 • ①普遍性+②多様性(8つの民族誌フィルム)、③相対性(自文化中心主義と文化相対主義)に続く、4つめのキーワードとしての個別性 • 「多様性」と重なる点は多いが、 • 「普遍性」と対になって、「全体のなかでの収束と拡散のバランス」という側面を重視する「多様性」に対し、 • 個に注目し、ひとつひとつ(あるいはひとりひとり)の持つ差異を無視してはいけない=ひとくくりにしてはいけない、という側面をより重視する • cf. 「中国人は(みんな)ねこを食べる?」 • cf. 「青短はみんなお嬢様? みんな派手?」