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AAYUBOWAN. アーユボーワン. Presentation by Thilmee Malinda. インド洋の真珠とその変容. Sri Lanka. トロピカルな島国. 平均気温: 28 C : 低い場所 17 C : 高い場所. インド洋. 大きさ: 65610 平方キロメートル 北海道より少し小さい. 人口: 1800 万人 東京の役 1.5 倍. 地理的な位置. 地理的な位置. インド洋の真珠.... インド洋の真珠. 海のシルクロードの東の西の中継地に位置づけている。
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AAYUBOWAN アーユボーワン Presentation by Thilmee Malinda
インド洋の真珠とその変容 Sri Lanka
トロピカルな島国 平均気温: 28 C : 低い場所 17 C : 高い場所 インド洋 大きさ: 65610 平方キロメートル 北海道より少し小さい 人口: 1800万人 東京の役1.5倍 地理的な位置 地理的な位置
インド洋の真珠... インド洋の真珠 • 海のシルクロードの東の西の中継地に位置づけている。 • 多くの人々に知られており、その美しさから“インド洋の真珠”と • 名づけられました。
仏教69% ヒンズー 15% イスラム 8% キリスト教8% 多民族、多宗教 シンハラ 74% タミル18% ムスリム 7% その他 1% 人口:1900万人
多民族、多宗教の始まり... • シンハラ:元々スリランカに住んでいた人々。 • 宗教は仏教とキリスト教(70%位仏教) • タミル: (宗教はヒンズー教又はキリスト教) • スリランカタミル( Sri Lankn Tamil): • 王様時代に南インドからスリランカに来た • インドタミル(Indian Tamil) • 植民地時代に紅茶畑等の仕事に南インドから来た • ムスリム:シルクロードに位置していたためアラブから移民してき た商業者(イスラム教) • その他:植民地であったため新たに追加された人種 • (クリスト教)
ちょっと歴史(仏教...) ちょっと歴史 ●BC 306年に仏教がインドからスリランカに渡った。 (仏様の死の237 年後) ●初期の王様が強く仏教を支持したので、仏教国と変わっていった。 ●王様は既に(いくつかの例外はある)シンハラ、仏教徒であったため他の宗教に仏教が押されなかった。
王様時代から植民地時代へ... ポルトガル: ( 1505年~1639年) 1505年にポルトガル人が上陸し王様と協定し、スリランカで シナモン、タバコ等を栽培 オランダ: ( 1640年~1814年 ) 1640年に当時の王様がオランダ人と協定結び、国王を 抑え始めてポルトガル人を追い出すが、これで状況は悪化 される。 イギリス(1815年~1947年) 1815年にイギリスによってオランダ人が追い出され国が 完全に植民地になる。この期間に紅茶とゴムの栽培が 始まった。 1947年:イギリスから独立 1972年:国名がセイロンからスリランカへ
植民地時代では... ●外国に支配されるまで国は自給自足で、優れた技術を持っていた。 例:栽培に要する水を提供するために優れた技術が利用されていた。 偉大なお寺や建物が建設され、中では今の技術でも修復できないものがある 5世紀の不思議と言われる“岩上の国王”があった。(シギリヤ) ● 1505~1947までの期間でこれらの技術が段々と消えていった そして、国が自給自足国から、支配された国に原材料を提供する国へとへ代わっていった。 例:Lipton 茶がイギリス製のものであるが、その原材料を植民地であった、 スリランカ、インド、ケニヤ等から提供される。
植民地時代の影響 • ●新たな民主が加わった • 支配国の人で残留した人(人口の1割を占める) • 紅茶畑の仕事に南インドから連れてきた人 • この人々がを今、タミル民族中のインドタミルの部分を占める。 • ●英語が普及した • 植民地時代に支配者の子供に通うために英語学校や大学が作られ、当時の国民の一部もそれらの学校に通った。 • ●王様時代にあったキャスト制がなくなり、新たなクラス制ができた • 英語は社会的上流階層のステータスのひとつとなっている
独立してからの出来事... • ●1948年2月4日に独立 • ●1972年に国名をセイロンからスリランカに変更 • スリランカは昔から東西の国々で様々の名前で知られていました。ギリシア人 やローマ人がタポロベーンと、アラブ人はセランディブ、ポルトガル人はセイラオ、 そしてイギリス人はセイロンと呼んでいた。 • 国名がセイロンとなったのはイギリス人が植民地時代にそう呼んでいたからです。 • 昔は、サンスクリット語で“ランカディーパ”と呼ばれていた。 • その名前から現在の名前“スリランカ”が生まれた。(サンスクリット語で“華麗な 陸地”との意味) • ●独立後の正式な国名がDemocratic Socialist Republic of Sri Lanka、スリランカ民主社会主義共和国になり、民主社会主義の国になった。 • 教育において大学卒業までの授業料が無料で、教科書も無料で提供される。また、政府の医療機関も無料であり、社会福祉が重視されている。
民族紛争の始まり... • ●1976年にタミル人が差別されると、独立国を要求 • 1956年の“シンハラ語公用語法案”をきっかけ(以前、英語が公用語であったため) • 1957年、1965年に“タミル語も公用語にする”、“国の北部と東部行政はタミル語で行う”などの法案に対して、タミル人に譲歩しすぎるとしてシンハラ人が反発ー>法案が拒否 • タミル人の割合がスリランカより多い、タミル人の生まれ地インドでは、独立後、“ヒンディ語”を公用語としているが、民族紛争は起こらず ... • ●1977年にLTTE(タミル・イーラム解放のトラ )が形成 • LTTEはタミル人を体表しているが、 • タミルの中でもカーストの低い人々が始まったタミルの高いカーストのエリートが独占していた社会的文化的特権に対する抵抗が、シンハラを優遇しタミルの差別を行う政府に対する力によるタミル全体の抵抗運動へと次第に発展していった
内戦時代の出来事... • ●LTTEがタミル人のための独立国家を目指しているが、LTTEによって殺害されたタミル人の政治家は多数 • LTTEを批判したタミル政治家 • ●タミル人全員がLTTEを支援しているわけではない。 • 北部にタミル人が強制的にLTTEゲリラ隊に入れられる。 • ゲリラ隊の高い割合を子供によって占められている。 • タミル人を代表している、反LTTE党もある。 • ●純粋なタミル国家を作ろうと北、東部の46、000人のイスラム人、 • 30,000人のシンハラ人を追い出された。(残留した人を殺害すると脅迫) • ●しかし、タミル人はスリランカの全体に広まっている。 • よって、テロの区別が困難
スリランカの経済 • ●20年以上にお渡る内戦のため、国の予算のほとんどが内戦の費用となる • ●経済状況は年々悪化されていく • 海外へ移民する人が増えている • ●物価が年々上がっていき、生活が苦しくなるばかり • ●失業率も以前として高いまま • 8.7%: 女性6.5%、男性12.8%(2001年) • 人口は約1900万人でその内50%が女性 • ●産業 • 農業(紅茶、ゴム、ココナツ、米)、衣類、観光事業、宝石
スリランカの経済 • ●輸出品 • 紅茶、ゴム、衣類、宝石、石油精製 • 輸出先:アメリカ36%、イギリス11%、日本6%、 • ドイツ5% • ●輸入品 • 自動車、機械備品、石油、食料 • インド10%、日本9%、韓国8%
教育状況 • ●南アジアで一番高い読み書き能力(91.6%) • 2015年に100%を目標 • ●総学校数の99%以上が国立 • ●先生当たりの学生数:22 • ●義務教育:5才~14才まで • ●中学校から高等学校への進学率:40.2% • ●大学は全て国立:計12 • 入学は困難、その代わり学費等は無料 • ほとんどの教育機関は国立であるため、先生は神様的存在