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佐世保平和学習研修スポット. 【 無窮洞 】 『 無窮洞(むきゅうどう) 』 とは、第二次世界大戦のさなか( 1943 年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。中は幅約 5 m、奥行き約 20 m、生徒 500 人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。. 【 浦頭引揚記念平和公園 】.
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佐世保平和学習研修スポット 【無窮洞】 『無窮洞(むきゅうどう)』とは、第二次世界大戦のさなか(1943年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。 【浦頭引揚記念平和公園】 昭和20年8月15日に太平洋戦争の終結に伴い、海外におられた邦人約629万人が日本に引き揚げました。このうち佐世保港のこの浦頭の地に、昭和20年10月14日米軍の上陸用舟艇(LST)で、韓国の済州島から旧陸軍軍人9,997人が揚陸したのをはじめ、以後昭和25年4月までに、主に中国大陸や南方諸島から引揚船1,216隻により、一般邦人・軍人・軍属合わせて1,396,468人もの方々が、引揚げの第一歩を印されました。ここ浦頭に佐世保引揚援護局検疫所があったからです。 【針生の無線塔】 昭和16年12月8日に「ニタカヤマノボレ」の開戦暗号を発信したと言われています。 (社)長崎県観光連盟