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戦争と食事

戦争と食事. 三橋・根津・常田・神山・久富・西野・大森. 目次. ①テーマの設定理由 ②第一次世界大戦時の食事事情 ③第二次世界大戦時の食事事情 ④日本の食事事情 ⑤結論. ①テーマの設定理由. ①第一次世界大戦の食事事情. イギリスとドイツの比較 . vs. ここでクイズです!. Q1, 食肉の一週間の配給量は?( 1918 年). イギリス. ドイツ. 約 200 g. 約 400 g. Q1, バターの一週間の配給量は?( 1918 年). イギリス. ドイツ. 約 30 g. 約 110 g.

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戦争と食事

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Presentation Transcript


  1. 戦争と食事 三橋・根津・常田・神山・久富・西野・大森

  2. 目次 ①テーマの設定理由 ②第一次世界大戦時の食事事情 ③第二次世界大戦時の食事事情 ④日本の食事事情 ⑤結論

  3. ①テーマの設定理由

  4. ①第一次世界大戦の食事事情

  5. イギリスとドイツの比較  vs

  6. ここでクイズです!

  7. Q1, 食肉の一週間の配給量は?(1918年) イギリス ドイツ 約200g 約400g

  8. Q1, バターの一週間の配給量は?(1918年) イギリス ドイツ 約30g 約110g

  9. Q1, パンの一週間の配給量は?(1918年) イギリス ドイツ 約1.7kg 自由に買えた

  10. ここで両国を細かく見ていきましょう!

  11. A イギリスの食事事情

  12. 復習コーナー Q, さっきのクイズの第3問の問題と答え(イギリスは?) A, 問題 パンの一週間の配給量は?(1918年)    答え 自由に買えた でも・・ なんで自由に買えたの?

  13. 小麦の事情 主な輸入先:アメリカ ↓ 1917年にピンチになる。        理由 A ドイツの潜水艦攻撃           B 米国産小麦の不作 

  14. α ドイツの潜水艦攻撃の影響 1917年:600万トンを超える船舶が沈没。  (連合国の輸送能力のおよそ30%) しかし 小麦だけは相変わらず輸入

  15. b 不作なのに・・ アメリカの小麦が少なくなる ↓ カナダ産の作物の75%が輸出  ↓ イギリスの備蓄は増加!

  16. だからパンが自由に買えた。

  17. しかしながら・・・ やっぱ物資の不足は相変わらず ↓ 1918年にはデモが起こる。

  18. Bドイツの食事事情

  19. 762,796

  20. 762,796人 1915〜1918年におけるドイツの餓死者数 ––なぜ?

  21. 多くの餓死者 二つの要因 aイギリスによる海上封鎖 bドイツのずさんな食料政策

  22. a イギリスによる海上封鎖 開戦直前 食料の約30%を輸入 飼料用大麦の輸入相手国  第1位 ロシア  第2位 アメリカ  第3位 ルーマニア  第4位 デンマーク  第5位 アルゼンチン  小麦の輸入相手国  第1位 アメリカ  第2位 ロシア  第3位 アルゼンチン  第4位 カナダ  第5位 ルーマニア

  23. b ドイツのずさんな食料政策 「シュリーフェン作戦」が大原則  対応の遅れ

  24. カブラの冬 1916〜1917年      にかけての冬 慢性的な食料不足    +ジャガイモの不作 カブラ(ルタバガ)      が食卓に並ぶ

  25. 煮込みルタバガ団子 ルタバガの詰め物 図説ドイツ革命史(1929)より ルタバガのピューレ 赤キャベツとルタバガ ルタバガサラダ ルタバガプティング ルタバガスープ 酢漬けルタバガ ルタバガのジャム ジャガイモ付きルタバガ ルタバガ団子炒め 白キャベツ付きルタバガスフレ 西洋ねぎ付きルタバガスフレ ルタバガカツレツ ルタバガ炒め ロールキャベツのルタバガ詰め 青キャベツとルタバガ ルタバガスフレ リンゴ付きルタバガ

  26. 銃後の崩壊 • ドイツでは食糧不足が深刻 (イギリス以上) • 銃後の崩壊を招く       →ドイツ革命、戦争終結へ

  27. 参考文献 • 「第一次世界大戦」 著:ジャン=ジャック・ベッケール 訳:幸田礼雅 白水社 2015年発行P139~141 • 「カブラの冬 第一次世界大戦期ドイツの飢餓と民衆」 著:藤原辰史 人文書院 2011年 p20~78 • 「学習漫画 世界の歴史 16 第一次世界大戦」 監修:柴宣弘 集英社 2011年 第10刷P161 • 「イギリス現代史 1900~2000」ピーター・クラーク著  西沢保・市橋秀夫・椿建也・長谷川淳一 他訳  名古屋大学出版会 2004年P83~84

  28. ②第二次世界大戦の食事事情

  29. A ソ連・レニングラード封鎖 ~都市の攻防~

  30. レニングラード包囲の背景 ドイツ軍のソ連北部侵攻図 • ドイツによる市民を狙った餓死計画 • 大量の軍需工場を所持 • 中央と前線の考え方の違い • 担当地域司令官の保身 En:wikipedia:Siege of Leningradより

  31. 生きた地獄 • 脂肪、タンパク質を大きく欠いた食料配給 • 代用食・・人が食べるものではない • 配給が届かない • 人肉食いもあるくらい • ピーク時には1日2万人が餓死 • 餓死で100万人以上が死亡 • 防衛部隊の盗みが横行 上図:パンの1日の配給量 左図:パンの配給券 上図:レニングラード封鎖より 左図:露wikipediaより

  32. ソ連側の対応策 左図:市内を走る氷上鉄道 • ソ連は氷上道路と鉄道を敷設=命の道 • 秘密警察(NKVD)による市民の弾圧 • 包囲解除作戦に失敗した前線指揮官を処刑 • イスクラ作戦 (大反攻作戦) A 日本政府の政策 A 日本政府の政策 左図:イスクラ作戦図 画像は共wikipediaより

  33. Bナチス・ドイツの食事事情

  34. ナチス・ドイツの計画 • 戦争時:国民の食糧供給を国内生産物によって維持する • 困窮する農民により多くの現金収支を与える ヴァルター・ダレ(食糧農業大臣)による帝国食糧生産団の設立 他にも帝国相続農地法を発布・市場規制による農業生産品を管理

  35. 結果として自給自足計画は失敗する • 債務や相続に関して結果的に一部の農家が優遇 • 生産物の引き渡しが中央集中化(中央集荷所の設置) • 帝国食糧生産団による管理のための介入 • 乳製品・家畜等の買取価格の低さ • 穀物の栽培強制 • 使用人の慢性的な不足 自給率の推移 81%(1937) 75%(1932)

  36. 戦時においてはどうか ・主な労働力である成人男性が次々と徴兵される ・大農等一部農家の兵役免除 捕虜を活用し解決を試みるも慢性的な労働力不足へ 不公平な扱いに不満が噴出 農民たちは精神的肉体的な負担に悩まされる 一方で,都市の住民よりも豊かな暮らしだった

  37. 一般供給事情の概略 開戦  衣料品をはじめとして物資供給が段階的に制限される 個人的消費のための生産は二の次に,           徐々に食糧配給も行き詰まり始める 都市の中心部等ドイツ本土への爆撃開始  配給量は極僅か,多くのドイツ人が「空腹のままベッドへ」 1939 1944

  38. SSによる報告書からみる供給状況 • じゃがいもの供給はずっと不足しているという。…一週間の割当量が1人当たり2ポンドに落ちていると報告されている。…(1940/4/5) • 果物と野菜の価格は一般に前年の2倍になっているという。…一週間当たりのパンの配給は1900gが1750gになる。…(1940/7/29) • 就労者へのパン配給量が重労働者など特別扱いされている者も含めて不足している。(1940/8/1) • 生計費は1933年以降上昇を続けている。…食糧指数は1933年に比べ15.3上昇した。(1941/1/30) • …今は,体重減少で体力が目に見えて衰え,こんな栄養状態が今後も続くと,健康をひどく損なうと気遣う声ばかりになっている。…(1942/7/9) • …目下,住民たちの大部分は『こんな状態はもうたくさん』と思っている。(1944/3/16) 消費者への注意書き

  39. 参考文献 • 「レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市 1941~1944」           著:マイケル・ジョーンズ 訳:松本幸重 P7~P412 付録 P16,17 • 「ヒトラー政権下の日常生活-ナチスは市民をどう変えたか」 著:H・フォッケ・U・ライマー 訳:山本尤・鈴木直 社会思想社 • 「ナチズムと大衆社会」 著:村瀬興雄 有斐閣選書

  40. ③日本の食事事情

  41. A 日本政府の政策

  42.        人口と食料消費量 肉 お米 1929年  =都市の米消費量 ≧農村部×1.25 1937年 =1919年の2倍

  43. 対外政策 「産米増殖計画」・・・朝鮮と台湾の「米櫃」化 ⇒結果朝鮮半島の「春の飢え」 1915年の米輸入量=5%→1935年=20% 飢えの輸出

  44. 日本の農家への影響 米価の下落と絹の需要減→農家は大損害を食らう ・農民の借金=当時のGDPの1/3に相当 ・弁当を持っていけない生徒(全国)=20万人 ・50万人の乳児死亡

  45. 様々な政策 ・農村経済更生運動 過酷な労働 限られた土地での無理な大量収穫を狙う 1937年米価・絹の価格上昇 ・二十カ年百万戸移住計画 適切な土地対人口にするため農業人口の31%を移住させる 1936年次の農業人口の5人に1人を移住→失敗 →対戦により22万人中8万人死亡

  46. 日本の食事情 ・食料の輸入率:イギリス 約半分         日本   20% ・砂糖輸入量:80万トン(戦前)→18万トン (終戦) ・漁獲高:戦時中は戦前の半分以下に ・軍消費のコメの量:16万トン→74万トン ・当時の日本にはトラクターが99台しかなかった ・コメの生産量1/2に減少 (終戦時)

  47. マラヤでの「食料増産計画」 • 台湾米を導入 (1年で2回収穫できた) • 1945年:配給の米の2/3が満州から →農業政策の失敗

  48. B国民の食事事情

  49. 密林で葉や草を食べて 生きることが出来るのは日本人だけだ(ドヤ) 日本の食事は 超質素 日本人は 倹約の天才だ・・・

  50. (明治から)第一次世界大戦前後  栄養学 ←第二次世界大戦のどの戦争当事国よりも、深い関心を寄せ、 積極的に研究をしていた。 Factly・・・ 脚気が蔓延した際も、外国の食事を参考に、食生活改善! かっけ 日本はかなり力を入れていた!

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