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徒 然 草. 徒然草 第十一段 神無月の ころ 神無月の ころ、 栗栖野といふ所を 過ぎて、 ある山里 にたづね入ること侍り しに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、 心細く住み なしたる庵 あり。 木の葉 に うづ もるる筧の滴ならでは、つゆ音なふ もの なし。 閼伽棚に菊・紅葉 など折り散らしたる、 さすがに、住む人のあればなるべし。 かくて も あられけるよとあはれに見るほど に、 かなたの庭に、大きなる柑子の木 の、 枝も たわわに なりたるが 、周りを厳しく囲 ひたりしこそ、 少し事冷めて 、この木なからましかばと覚え しか。. 徒然草 第五十六段 久しく隔り て
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徒然草 第十一段 神無月のころ 神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ること侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉にうづもるる筧の滴ならでは、つゆ音なふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。 かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りを厳しく囲ひたりしこそ、少し事冷めて、この木なからましかばと覚えしか。
徒然草 第五十六段 久しく隔りて 久しく隔りて会ひたる人の、我が方にありつること、数々に残りなく語り続くるこそあいなけれ。隔てなく慣れぬる人も、ほど経て見るは、恥づかしからぬかは。次ざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつることとて、息もつきあへず語り興ずるぞかし。 よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから人も聞くにこそあれ。よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひののしる、いとらうがはし。 をかしきことを言ひてもいたく興ぜぬと、興なきことを言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計られぬべき。 人の身ざまのよしあし、才ある人はその事など定め合へるに、おのが身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。
徒然草 第七十三段 世に語り伝ふること 世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言なり。 あるにも過ぎて人はものを言ひなすに、まして年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ。道々のものの上手のいみじきことなど、かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくに言へども、道知れる人は更に信も起こさず。音に聞くと見る時とは、何事も変はるものなり。
徒然草 第七十八段 今様のことども 今様のことどもの珍しきを、言ひ広めもてなすこそ、また受けられね。世に言古りたるまで知らぬ人は心憎し。 今更の人などのある時、ここもとに言ひつけたる言ぐさ、物の名など、心得たるどち、片端言ひ交はし、目見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に、心得ず思はすること、世慣れず、よからぬ人の、必ずあることなり。
徒然草 第八十五段 人の心素直ならねば 人の心素直ならねば、偽りなきにしもあらず。されどもおのづから正直の人、などかなからん。己素直ならねど、人の賢を見て羨むは、尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得むがために少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てむとす」とそしる。己が心に違へるによりて、このあざけりをなすにて知りぬ。この人は下愚の性移るべからず。偽りて小利をも辞すべからず、仮にも賢を学ぶべからず。 狂人のまねとて大路を走らば、すなはち狂人なり。悪人のまねとて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥のたぐひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばむを賢といふべし。
徒然草 第八十九段 奥山に、猫またといふものありて、人を食らふなる 「奥山に、猫またといふものありて、人を食らふなる」と、人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上りて、猫またになりて、人取る事はあなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、一人歩かむ身は心すべきことにこそと思ひけるころしも、ある所にて夜更くるまで連歌して、ただ一人帰りけるに、小川の端にて、音に聞きし猫また、過たず、足元へふと寄り来て、やがて掻き付くままに、頚のほどを食はむとす。肝心も失せて、防がむとするに力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫また、よや、よや」と叫べば、家々より、松どもともして、走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こはいかに」とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭け物取りて、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、はふはふ家に入りにけり。飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、飛び付きたりけるとぞ。
徒然草 第九十二段 或人、弓射る事を習ふに ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と言ふ。わづかに二つの矢、師の前にて、一つをおろかにせむと思はんや。懈怠の心、みづから知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。 道を学する人、夕べには朝あらむことを思ひ、朝には夕べあらむことを思ひて、重ねてねんごろに修せむことを期す。いはむや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らむや。なんぞただ今の一念において、直ちにすることの甚だ難き。
徒然草 第百九段 高名の木登り 高名の木登りといひし男、人をおきてて、高き木に登せて梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るる時に、軒長ばかりになりて、「過ちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすき所になりて、必ず仕ることに候ふ」と言ふ。 あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難きところを蹴出だして後、やすく思へば、必ず落つと侍るやらむ。
徒然草 第百十七段 友とするにわろきもの 友とするにわろきもの七つあり。一つには高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵、六つには、虚言する人、七つには欲深き人。 よき友、三つあり。一つには 物くるる友、二つには医師、三つには智恵ある友。
徒然草 第百七十段さしたることなくて さしたることなくて人のがり行くは、よからぬことなり。用ありて行きたりとも、そのこと果てなば、とく帰るべし。久しくゐたる、いとむつかし。 人と向かひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も閑かならず、よろずのこと障りて時を移す、互ひのため益なし。いとはしげに言はむもわろし。心づきなきことあらむ折は、なかなか、その由をも言ひてむ。同じ心に向かはまほしく思はむ人の、つれづれにて、「今しばし。今日は、心閑かに」など言はむは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰にもあるべきことなり。 そのこととなきに人の来たりて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また、文も、「久しく聞こえさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。