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街のブランド化. ~ 『 文化都心 』 六本木ヒルズの行方~ 塚田ゼミ D チーム マーケティング学科2年 岡部 享史 松原 淳也 中沢 美穂. 目次. はじめに 第1章 丸の内から考察する街のブランド化 第2章 六本木ヒルズ 第3章 六本木ヒルズのこれから おわりに. はじめに. エリア間競争とは、街の 個性 VS 個性 ・街が個性を持つこと ・他の街と差別化を図ること 消費者は・・・
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街のブランド化 ~『文化都心』六本木ヒルズの行方~ 塚田ゼミDチーム マーケティング学科2年 岡部 享史 松原 淳也 中沢 美穂
目次 はじめに 第1章 丸の内から考察する街のブランド化 第2章 六本木ヒルズ 第3章 六本木ヒルズのこれから おわりに
はじめに • エリア間競争とは、街の個性VS個性 ・街が個性を持つこと ・他の街と差別化を図ること 消費者は・・・ ・街の明確なイメージを持つ ・街に魅力を感じる 街がブランド化する
1-1オフィス街としてのブランドを構築するまで1-1オフィス街としてのブランドを構築するまで 三菱社へ 国 明治27年から明治44 年にかけて建てられた 「一丁ロンドン」の街並
昭和62年において外資系法人を含み6,500に上る事務所。東証一部上場企業1,055のうち本社,本部中枢管理機能があるものが121社・11%を占め、GNPの20%以上を支えているといわれている。 昭和62年において外資系法人を含み6,500に上る事務所。東証一部上場企業1,055のうち本社,本部中枢管理機能があるものが121社・11%を占め、GNPの20%以上を支えているといわれている。 「街づくり」という観念からも開発を続けてきたことも地位を確立してきた一つの要因になっている。
現在の丸の内 この写真ではわかりづらいが再開発の現在でも歴史建造物的な建物は残されている。
現在の丸の内一帯これからも開発が進んでいく現在の丸の内一帯これからも開発が進んでいく
1-2 ニーズの移り変わり 国 企業 オフィスワーカー 新たに一般消費者 と移り変わっていった。 しかしあくまでも基本的なねらいは企業の集積であって,一般消費者ではない。
1-2-1現在丸の内が求められているニーズ • ビジネスのみの「単体」の街だった。 しかしそれではダサいというイメージ(特に若者・OL)。 「多機能」が備わった街へと移り変わろうとしている。
ショッピングモール ビジネス街 (丸ビル) ホテル レストラン 街 丸の内の複合都市への構成 • この他にも丸の内 カフェやMCC(丸の内 キャンパスシティ) などがある。
仲通にブランドショップや飲食店がずらっと並び始めた。仲通にブランドショップや飲食店がずらっと並び始めた。 • これによりTVやファッション雑誌に「丸の内系」として登場。 • 地下通路の連絡や有楽町に丸井ができることにより幅広い年代が利用可能な繁華街になることも期待可
外国公館と進駐軍の街としてスタート 1960年代に”六本木族”で注目を集める 六本木族には、加賀まりこ、かまやつひろし、三島由紀夫を始め、 芸能関係者など当時の流行最先端の人々が夜明けまで夢を語り、 騒いでいた。 『夜・遊びの街』のイメージができる。しかし、当時は、 『最先端の場所』として文化(流行)を発信 みゆき族(銀座)、渋カジ(渋谷)など時代によって文化の発信が変化 六本木には『夜・遊びの街』としてのイメージのみが残った 2-1-1 戦後の六本木
・「夜の街」というイメージを変えたい ・テレビ朝日の本社建替えがきっかけで ・森ビルが総合コンサルタントとして 再開発事業が始まる ・正式名称は「六本木六丁目地区第一種市街地再開発事業 」 2-1-2 六本木ヒルズのできるきっかけ
2-1-3 再開発前の六本木六丁目 ・テレビ朝日の放送センター、小さな飲食店・小売店、住宅があった。 ・典型的な木造密集地で災害に弱い地域だった。 再開発前の六本木六丁目再開発中の六本木六丁目
六本木ヒルズの完成 (区画整備、緑化、 観光化) ・六本木の昼の時間帯が広がり「二十四時間都市」というイメージがあらたにできる。 ・防災上安全な都市になり耐震性があり、百年は利用できる建物ができる。 ・新たなランドマークとして六本木のシンボルになる。 2-1-4 再開発後の変化
2-1-5 再開発によっての立体交差点の完成2-1-5 再開発によっての立体交差点の完成 もともと、この地域は渋滞がす ごく、地権者の反対で環状三号 線が地下を走っており、六本木 通りは地上にあったので不完全 交差だったが、四十年かけて区 や都や国ができなかったことを この再開発で街も分断されずに 立体交差点を完成させた。
「六本木六丁目地区市街 地再開発組合」「六本木六丁目地区市街 地再開発組合」 ・400人もの地権者が参加。 ・再開発組合の原保理事長は 森ビルの誠実な対応により再開発に積極的になった。 ・住民参加型の街づくりであること。 森ビルの対応 ・地権者への権利変換. 権利変換ー再開発の後に生み出された「床」と、再開発前に地権者が持っていた「土地・建物」の価値を交換することをいう。 ・地権者に一緒に事業を働きかけ 一方で、転出希望者からは土地を買い受け転出先の住宅などを手当てたりするようなことで権利者の80%(約400人)は組合に残り、所有不動産を売った転出者は20%の少数。 ・アークヒルズという見本があったことも幸いした。 2-1-6 地権者によっての再開発
2-2 「複合都心」六本木ヒルズ • 映画館:ヴァージンシネマコンプレックス • 放送センター:テレビ朝日 • オフィス:フレッシュネスバーガー、J-WAVE、コナミ、平和など • ホテル:グランドハイアット東京 • 住宅:六本木ヒルズレジテンス • 商業施設:飲食店、ショップ • 文化施設:森アーツセンター
森アーツセンター 森ビルは「アーツ」という言葉を単に美術や音楽といった芸術分野のみならず、人類が生み出した、「美と知と技の総体」と定義している 東京シティビュー 六本木ヒルズクラブ 六本木アカデミーヒルズ
3-1 消費者の六本木に対するイメージ • 六本木は『夜の街、遊びの街』のイメージ • 六本木ヒルズによって、新たなイメージ形成 六本木=“文化都心” しかし現在のイメージは・・・???
しかし、現在のイメージは・・・・ 文化的
森アーツセンター(森タワーの最上層部) 美術館、展望台、会員制クラブ、アカデミー ・・・ 森美術館は六本木の文化の核 ・デヴィット・エリオット が館長 ・ニューヨーク現代美術館MoMAと提携を結ぶ NYは現代美術の最先端。MoMAは、20世紀美術の潮流を形成してきたとされる。 ・開館記念展 「ハピネス」で10月18日オープン 村上隆、奈良美智、オノ・ヨーコ、アンディ・ウォーホルなどの現代アート作品が大多数 を占めている。 3-2-1 六本木ヒルズ
アートスポットが皆無に近い状態が続いていた。アートスポットが皆無に近い状態が続いていた。 六本木ヒルズの影響 芋洗坂を中心に、中古ビルなどを使用した「六本 木アートストリート化」改造計画が進んでいる。 今後も、さらに増え続ける可能性がある。 多くの文化人が集まり、1960年代のような 文化(都心)の要素が増え続けるのではないだろ うか。 3-2-2 六本木ヒルズの周辺
ストリートスケイプ 、パブリックアート 広告は村上隆、音楽は坂本龍一が担当 ヒルズの考える文化とは“現代文化”である ・“現代アート”での街づくりで、国際的な “文化都心”を目指す!!!
3-3 “文化都心”六本木ヒルズへ • 森美術館を始めとした、ヒルズ内の文化施設1つ1つのブランド化を進める • 六本木全体を取り込んだ“文化都心”を 目指していくことが重要!! • ヒルズは“文化都心”の核となり、また広告として、来街者アップを目指す • 周囲の街が消費者に“文化都心”六本木の面白さの体験を増やす このようにして“文化都心”という個性を持った ブランドが成り立っていく
おわりに 六本木ヒルズは”文化都心”へ!! 日本伝統の文化ではなく、 世界を視野に入れた現代の文化 日本に現代アートを発信し、根付かせていく! (同じ役割を持った都心は日本にない) 個性“文化都心”をもった街として成り立つ