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日本における温泉観光開発. 浦 達雄 大阪観光大学観光学部. 1.温泉研究と温泉学. ( 1 ) 科学と温泉学 自然科学 の分野で体系化。 人文科学、社会科学の分野では今後の課題 観光地理学 の分野では、高度経済成長期以降、研究活動が活発化 ( 温泉地域形成とまちづくり ) ( 2 ) 温泉学の展開 期待される 温泉医学 。 新興の学問としての温泉文化論、温泉地理学. ( 3 ) 研究の課題 ①自然科学:温泉化学 ( 温泉の成分など ) 、温泉地学 ( 温泉湧出の現象など ) ②社会科学:温泉法学 ( 温泉権の問題など )
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日本における温泉観光開発 浦 達雄 大阪観光大学観光学部
1.温泉研究と温泉学 (1)科学と温泉学 自然科学の分野で体系化。 人文科学、社会科学の分野では今後の課題 観光地理学の分野では、高度経済成長期以降、研究活動が活発化(温泉地域形成とまちづくり) (2)温泉学の展開 期待される温泉医学。 新興の学問としての温泉文化論、温泉地理学
(3)研究の課題 ①自然科学:温泉化学(温泉の成分など)、温泉地学(温泉湧出の現象など) ②社会科学:温泉法学(温泉権の問題など) ③人文科学:温泉地理学(温泉地の振興など)、温泉歴史学、温泉文化論
(4)温泉学の成果 ①湯原浩三・瀬野錦蔵(1969):『温泉学』地人書館、293頁 温泉の分布と地質 温泉水の流動 温泉の熱 温泉水の性質 地熱現象 温泉の成因
②日本温泉科学会(2004)『温泉科学の最前線』ナカニシヤ出版、236頁②日本温泉科学会(2004)『温泉科学の最前線』ナカニシヤ出版、236頁 1.温泉と科学 2.温泉と地学 3.温泉と生物学・医学 ③日本温泉協会(2006)『温泉-自然と文化』同協会、72頁 ④日本温泉協会(2007)『温泉-歴史と未来』同協会、67頁 ⑤日本温泉協会(2008)『温泉-自然遺産と文化遺産』同協会、55頁
(5)温泉関係学会 ①日本温泉気候物理医学会http://www.onki.jp/gaiyou.html ②日本温泉科学会http://www.ed.kagawau.ac.jp/~nobuyuki/index0.htm ③日本温泉地域学会http://wwwsoc.nii.ac.jp/rsasj/RSAtop.html ④温泉学会http://www.miki55.com/onsengakkai/index.htm
(6)温泉関係団体 ①(社)日本温泉協会 http://www.spa.or.jp/ ②(財)中央温泉研究 http://www.onken.or.jp/
2.温泉地の輪廻と温泉観光開発 (1)温泉地の輪廻 ①療養温泉地(湯治場)(とうじば):治療する温泉地。1~3週間滞在。 ②保養温泉地:心身の癒し、静養。2~3泊。 ③観光温泉地:広域観光の拠点。団体宴会客主体。1泊。 ④温泉リゾート(今後の課題):長期滞在型の保養温泉地
(2)高度経済成長期の温泉観光開発 ①観光施設の開発 ②旅館の近代化・鉄筋化 男性主体の団体客に対応 温泉地よりは歓楽地として機能 ③山梨県石和温泉の温泉開発 1961年:温泉掘削(井戸を掘って偶然湧出) 果樹地帯(ぶどうなど)⇒温泉観光地へ変身。 農家が旅館経営参入。県内外から観光資本進出
(3)温泉ブームの到来 ①マスコミによる温泉ブーム:安定経済成長期以降 若い女性の露天風呂入浴シーン。動機が不純。 不振旅館の改造。マスコミの都合による番組編成。 ②竹下登内閣によるふるさと創生事業 1988~1989年。市町村へ1億円交付。 全3,081市町村の内、354市町村が温泉掘削。 ③旅行形態の変化 団体旅行の減少→小間客の増加。
(4)大分県由布院温泉 ①功績:伝統的な温泉地からの脱却。歓楽型温泉(別府温泉)の克服。 ②罪過:外来資本の進出。熊犬猫ショップの登場。温泉地なのか観光地なのか?分らない。 ③現状:由布院ブランドの定着。女性に人気の観光地に成長。
(5)熊本県黒川温泉 ①功績:平凡な山の温泉地に夢と希望をあたえた。 ②罪過:適正規模を超えた日帰り入浴客。旅館サイドによる日帰り客の入浴制限。規制のない温泉の汲み上げで、中心部の湯量減少をもたらした(意見の対立) ③現状:黒川温泉以外に周辺温泉地が浮上。
(6)大分県別府温泉 ①功績:高度経済成長期までの日本の観光ブームを支える。 ②罪過:湯(言う)だけの経営体質に依存し、その後の対応策をあやまる。 ③現状:2001年10月以降、別府八湯温泉泊覧会(ハットウ・オンパク)による浮揚を目指す。
(7)大深度温泉(非火山性の温泉) 深さ1,000 mをこえるような井戸掘削による温泉。 地中温度は100mで2-3℃上がる。1,000mなら1円の計算になるが、35度~45度の温泉が期待できる ①功績:温泉ブームを支えた。温泉のテーマパーク ②罪過:循環湯の蔓延。 ③現状:SPA施設として定着。
(8)観光開発の克服 ポストバブル経済期では、施設・道路の開発を克服し、地域にすでに存在し、在るものを活かす、地域づかい型のまちづくりが定着。 (9)新旧の観光資本 ①北海道系の観光資本 カラカミ観光、加森観光、野口観光 ②異業種から参入した観光資本(旅館再生企業) 湯快リゾート、伊藤園グループ、おおるりグループ
3. 国民保養温泉地の整備 (1)国民保養温泉地 ①指定開始:1954年 第1号の指定:酸ヶ湯温泉(青森県)、日光湯元温泉 (栃木県)、四万温泉(群馬県)。 ②背景 温泉法(1948年制定)第29条に基づく。 源泉に関する条件:適応症、湧出量、湧出温度 温泉地に関する条件:健全性、景観・環境、医療設備・スタッフの充実、交通の便、災害の安全性
③施設の整備 温泉利用施設(療養施設、保健休養施設、宿泊施設など)、交通施設、公共施設、野営場、運動施設、園地などの整備 ④2008年現在の指定数 91ヵ所。2002(平成14)年の塩江温泉(香川県)指定が最後。
(2)国民保健温泉地 ①指定開始:1981年 ②背景 高齢化社会や生活の都市化の進展などにより、温泉の有する保健的適応症を積極的に活用するニーズが高まってきた。 ③施設の整備:温泉センターなどの整備。 ④2008年現在の指定数:21ヵ所。(指定期間は1981年~1995年)
(3)ふれあい・やすらぎ温泉地 ①指定開始:1993(平成5)年 ②背景 生活の都市化の進展などにより、自然とのふれあい 安らぎを求める声が高まってきた。 ③施設の整備 自然ふれあい温泉センターや自然遊歩道などの整 備。 ④2008年現在の指定数:25ヵ所
4.温泉地の事例①:由布院温泉 (1)奥別府としての由布院 ①1921(大正10)年:油屋熊八(愛媛県出身。別府で亀の井ホテル経営)が金鱗湖畔で亀の井別荘を開業。 ②1924(大正13)年10月11日:本多静六(林学博士)『由布院温泉発展策』講演。 ③昭和初期:文化人の入湯。 北原白秋、与謝野鉄幹・晶子夫妻、久米正雄、高浜虚子、武者小路実篤、徳富蘇峰など。
(2)第2次世界大戦後 ①1952年:ダム建設計画で水没の危険性。 ②1955年:湯布院町の誕生(由布院町と湯平村の合併)。 岩男頴一(ひでかず)町長(36歳):別府温泉とは趣を異にする健全な保養温泉地づくりを提案。
(3)やまなみハイウエイの開通(1964年) ①1971年:明日の湯布院を考える会設立(契機は猪の瀬戸の自然を守るため)。 ②1972年:牛一頭牧場運動(牛喰い絶叫大会) ③1975年:ゆふいん音楽祭、辻馬車の運行。 中部直下型地震による湯布院壊滅説を吹き飛ばすため。
④1976年:湯布院映画祭。 若手旅館経営者の志手・中谷・溝口の3人がヨーロッパ視察。クアオルト構想推進。 「もっとも住み良い町こそ優れた観光地である」。 ⑤1979年:九州湯布院民芸村開業。 ⑥1981年:国民保養温泉地指定。 ⑦2005年:由布市の誕生(狭間町、庄内町、湯布院町の合併)。
5.温泉地の事例②:黒川温泉 (1)やまなみハイウェイ(1964年)の開通前 ①江戸時代:街道筋の温泉場として機能(参勤交代の大名とか武士も利用)。 ②明治・大正・昭和戦前:近隣の湯治場として成立。 ③1964年:国民保養温泉地指定。
(2)やまなみハイウェイの開通後 ①高度経済成長期:一時期、観光客が入り込む。しかしブームは数年で終了。 ②1975年頃:世代交代開始。 ③1986年:入湯手形の発行(露天風呂めぐり開始) ④1987年以降:看板の統一、雑木の植林開始。 風を活かした地域づくり(風土、風景、風習)。 ⑤1998年:じゃらん(九州・山口版)で人気1位を獲得 ⑥2007年:入湯手形の販売200万枚突破。
6.温泉地の事例③:別府温泉 (1)オンパク前史 ①1996年(平成8)8月8日:別府産業経営研究会(産研)が「別府八湯勝手に独立宣言」。 ②1998年12月2日:別府八湯竹瓦倶楽部誕生。(まちづくり組織) ③1999年7月:竹瓦界隈路地裏散歩開始。別府八湯ウォークに先鞭。 ④2001年3月25日:別府八湯温泉道スタート。温泉施設の88ヵ所巡り(スタンプラリー)。
(2)オンパク(別府八湯温泉泊覧会)の開催 ①第1回オンパクの開催 2001年10月19日から28日まで開催。 別府の理想像を求めたイベントとしてスタート。 1996(平成8)年からの研究会や諸活動の成果。 ②第1回オンパクの目的別府八湯の新たな魅力の創造、観光交流人口の増加、温泉保養・長期滞在、八湯エリアの再認識・体験、健康増進、別府八湯のPRなど。