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下中弥三郎と七人委員会 (1) 七人 委員会の誕生. 2011 年 11 月 12 日 小沼通二(こぬまみちじ). 内容. 七人委員会発足前の世界 下中と世界連邦運動 下中の七人 委員会 設立 初期 の 七人 委員会. 七人委員会発足前の 世界( 1/2 ). ヨーロッパ( 1939 - 1945 )とアジア・太平洋( 1931 - 1945 )の戦争 核兵器完成・使用( 1945 ) 国連 発足( 1945 ) チャーチル 米国で「鉄のカーテン」演説( 1946 ) 東西冷戦
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下中弥三郎と七人委員会(1)七人委員会の誕生 2011年11月12日 小沼通二(こぬまみちじ)
内容 • 七人委員会発足前の世界 • 下中と世界連邦運動 • 下中の七人委員会設立 • 初期の七人委員会
七人委員会発足前の世界(1/2) • ヨーロッパ(1939-1945)とアジア・太平洋(1931-1945)の戦争 • 核兵器完成・使用(1945) • 国連発足(1945) • チャーチル 米国で「鉄のカーテン」演説(1946) 東西冷戦 • ソ連 ベルリン封鎖(1948ー1949) ベルリンの壁(1961) • 朝鮮半島分裂国家(1948)
七人委員会発足前の世界(2/2) • ドイツ分裂国家(1949) • 中華人民共和国成立(1949) • ソ連 原爆完成(1949) • ベトナム分裂国家(1950) • 朝鮮戦争(1950-1953) • 米ソ 水爆開発競争(~1952-1954) ビキニ水爆実験 (1954) • 湯川秀樹が参加したラッセル・アインシュタイン宣言(1955)
最初の核実験 • 1945米 1949ソ 1952英 1960仏 1964中 • 最初の空中からの原爆投下 • 1945米 1951ソ 1956英 1965中 1966仏 • 最初の水爆 • 1952米 1953ソ 1957英 1967中 1968仏 • 最初の攻撃型原潜SSN • 1955米 1958ソ 1963英 1971仏 1974中
第2次世界大戦中の全爆発力3Mtと1980年代初めの核兵器の爆発力合計18000Mt第2次世界大戦中の全爆発力3Mtと1980年代初めの核兵器の爆発力合計18000Mt
下中弥三郎の思想 • ヒューマニスト 自由人 天衣無縫 理論でなく体験に裏付けられたそれまでの考えを捨てずに時代に合わせた • 1 独学により儒学 国学を身に着ける • 2 正義感から社会主義 無政府主義 自然主義へ • 3教員組合結成 メーデー参加自由 自治 自立 自主 • 4 天皇中心主義 大政翼賛会文化委員長 • 5国連強化 核兵器・軍備廃絶 世界連邦へ • 「力より 心の平和こひねがふ そのあつまりに 勝つ力なし」 • 「戦争を さける軍備と人いえど 軍備しなくば 戦ひおこらず」 • 「この年に 下中平和財団を 大きくつくり 世に捧げてむ」
世界連邦 思想から運動へ • 世界国家 世界政府 世界連邦 の思想は海外にも日本にも かなり以前からあった。 • 下中の『大西郷正伝』(1940)には「世界連邦」の言葉が何回も出てくる • 国際的な動き「世界連邦政府のための世界運動」 1946 • 日本の動き「世界連邦建設同盟」1948
下中の世界連邦運動参加 • 1951 下中、賀川豊彦(建設同盟副総裁)との会談で、世界連邦アジア会議を提案 • 1952 広島その他で開催 • 1954国連未加盟国会議 東京開催 • 1954第2回世界連邦アジア会議 東京・長崎開催 下中はこれら3会議の準備委員長 • 1954世界連邦建設同盟理事長就任
下中の世界連邦思想 • 1954年11月1日からの第2回世界連邦アジア会議を前に 10月2日に委嘱され、直ちに執筆にかかり、11月1日に『世界連邦』(元々社)を発行 ビキニ • 1954年12月1日に『クロ船と“灰”』(独立評論社)発行
下中と湯川秀樹 • 湯川秀樹 1934年に 原子の芯(原子核)をまとめている力を見抜き、中間子の存在を予言1947年に英国で中間子発見 1949年ノーベル物理学賞 • 湯川 直観と透徹の人 • 湯川は 核兵器出現後まもなく世界連邦思想に関心 「今よりは世界ひとつにとことわに平和を守るほかに道なし」 「この星に人絶え果てし後の世の永夜清宵何の所為ぞや」1945 • 湯川 世界大百科事典に協力 下中を知る • 下中 1955年のラッセル・アインシュタイン宣言に賛同・援助
今日に続く下中の七人委員会構想 • 人道主義と平和主義に立つ不偏不党の有志の集まり • 国際間の紛争は、武力でなく話し合いで解決を図る • 世界連邦思想、日本国憲法の精神、核兵器廃絶 戦争廃絶 • 実際の政治に携わっていない人、自由人、世界的に運動できる人
七人委員会委員の人選 • 湯川 • 茅誠司(日本学術会議会長) • 上代たの(日本婦人平和協会会長) • 平塚らいてう(日本婦人団体連合会会長) • 植村環(日本YWCA会長) • 前田多門(日本ユネスコ国内委員会委員長) の順に交渉・承諾
第1回アピール1955年11月11日 • 国連第10回総会にむけてのアピール • 国家単位の国連を世界連邦に • 1 未加盟国をすべて国連に加盟させる • 1 1956年9月に国連憲章を再審議し、世界憲章起草の会議を • 1 1957年国連総会と併行して 第1回世界人民会議を 軍備撤廃 資源と人口の調節 自由経済交流 人種平等・人権尊重 出入国管理
七人委員会第1回アピールを発表する下中弥三郎 左から 茅 平塚 下中 湯川 植村七人委員会第1回アピールを発表する下中弥三郎 左から 茅 平塚 下中 湯川 植村
第1回アピール発表を報じた新聞(記事の一部)第1回アピール発表を報じた新聞(記事の一部) • 1955年11月11日 • 国連発足10周年 • 国連第十回総会に対する勧告書
第1回アピールにつけた七人の署名 • 下中弥三郎 • 前田多門 • 茅誠司 • 湯川秀樹 • 平塚らいてう • 植村環 • 上代たの